究極のエレガンスをもたらした欧州一の名門女性
フランス・パリ郊外にある世界遺産ヴェルサイユ宮殿美術館が所蔵する絵画やゴブラン織のタペストリー、見事な細工が施された家具に、宮殿内部だけでなく庭園に置かれた彫刻、ルイ14世からマリー・アントワネットまで歴代王族の個人的な所有品など130点以上を借り受けて送る大規模な「ヴェルサイユ展~王宮の至宝~」が4月17日まで、キャンベラのオーストラリア国立美術館で開催中です。今月は王妃マリー・アントワネットの時代をご紹介。
エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン作「王妃マリー・アントワネットの肖像」(1783年に描かれた模写/油絵/※以下、ここに掲載の画像の作品はすべて「ヴェルサイユ展〜王宮の至宝〜」で展示中)
1774年、ルイ15世の死によって19歳の孫の王太子が国王ルイ16世として即位しました。その4年前にオーストリアから王太子妃として嫁いでいた王妃マリー・アントワネットは18歳で、フランス中が若々しい新国王夫妻に熱狂しました。
ルイ16世が愚鈍な君主などではなかったという事実は現在では一般的です。フランス革命を回避できなかったのは王が無能だったからではなく、2代前のルイ14世の治世後半から傾きかけていたフランスの財政は、ルイ16世が即位した時には完全に破綻していたのです。両親も既に他界しており、誰からも政治の手ほどきを受けないままに19歳の若さで王位に就いたルイ16世は、革命勃発までの15年間、彼なりに全力を尽くしたと評価されるべきでしょう。いずれにしてもルイ16世は王妃の言いなりだったことなど一度もなく、革命勃発後を除くと政治上の重要事項には一切王妃を関与させませんでした(※革命勃発後、王は心労により鬱病の症状からくる無気力感に襲われたともいわれ、夫である王と王位継承者である息子を守るためにと王妃マリー・アントワネットが政治的影響力を発揮するようになりました)。そんなわけで、政治から遠ざけられた王妃の情熱はもっぱら文化芸術面に注がれるという(当時の)理想的な夫婦の図式が最初からありました。
ルイ14世、ルイ15世の治世中にそれぞれ花開いたバロック、ロココに代わり、ルイ16世の時代のフランスでは新古典主義が主流となっていて、「ルイ16世様式」とも呼ばれます。王は政治では王妃に口出しさせなかった代わりに宮殿・離宮の居室の模様替えなどは妻任せで王妃の好きなようにさせたから、「マリー・アントワネット様式」と例えてもいいかもしれません。即位当初から赤字財政だったルイ16世の治世中に新築された王家の離宮はひとつもありませんが、建築物では古代ギリシャの建築様式を18世紀風にアレンジしたものや、家具もロココの流麗な曲線に代わって直線を多用したシンプルでエレガントなデザインが特徴です。さらに、ヴェルサイユの左右対称の人工的な庭園に、マリー・アントワネットが傾倒していた英国趣味が取り入れられ、ルイ16世からのプレゼントによって王妃個人の所有物となったプティ・トリアノン離宮周辺に大規模な英国式庭園が造園されました(プティ・トリアノン自体は先王ルイ15世の時代に建てられましたがファサードは新古典主義の代表的建築物です)。
マリー・アントワネットの実家オーストリアのハプスブルク家は、王朝としては当時の欧州列強最古の家柄を誇り(列強以外の国も含めるとデンマーク王家がヨーロッパ最古)、さらに彼女の父は欧州全土の王侯貴族階級において各国国王を凌ぐ最上位の神聖ローマ帝国皇帝でした(マリー・アントワネットの母マリア・テレジアは実質的な意味での「女帝」ではありましたが、神聖ローマ帝国に関しては正しくは「皇后」)。加えて、絶世の美女ではなかったにせよそれなりの美貌にも恵まれ、フランスの誰よりも高い出自を誇る揺るぎない自尊心もあったでしょうが(18世紀当時のオーストリア自体は大公国で、ロシア帝国の皇帝・女帝の子女と同じく男子は生まれながらに大公、女子は大公女の地位を持ち、また、マリア・テレジアはハンガリー王国とボヘミア王国の君主でもあったためマリー・アントワネットは大公女であると同時に王女でもあり、王妃以外の女性王族の最高の身分が王女しか存在しなかったフランス以上)、王家に生まれた娘にふさわしい究極のエレガンスを生まれながらに身に着けていました。それは彼女の立ち居振る舞いなどにも顕著に表れていたというし、彼女の美的・芸術的センスにも存分に反映されました。
ジャン・アンリ・ナデルマン作「マリー・アントワネットのハープ」(1775年作/木彫に彩画・金箔のほか鉄・ブロンズ・真珠・ガラス細工使用)
14歳でフランスへ嫁ぐ以前のウィーン時代の音楽教師が大作曲家グルックだったマリー・アントワネットは音楽を愛し、自らもクラヴサン(ハープシコード)やハープを巧みに弾きこなしました。彼女が王妃だった時代のフランスでは後世に名を残す偉大な作曲家は生まれませんでしたが、恩師グルックをパリへ呼び寄せて絶大な庇護を与えたり、こちらもオーストリア出身のハイドン作曲の交響曲第85番が「王妃」(フランス語で王妃を意味する“ラ・レーヌ<La Reine>”)というタイトルで知られるのはその曲をマリー・アントワネットが好んだからといわれます。
音楽だけでなくダンスも得意でした。結婚が決まった際にフランス式の最新ステップを習得するべくフランスが生んだ名舞踊家ノヴェールに師事し、王妃となった翌年には彼をパリ・オペラ座のメートル・ドゥ・バレエ(バレエ・マスター)に就任させ、こちらも手厚く庇護しました。やはり幼少時代からウィーンで大勢いる兄や姉たちと宮廷主催の行事祭典の一環で素人芝居の舞台に立っていたマリー・アントワネットは舞台芸術も愛し、観賞するだけでなく王妃となってからも自ら女優として内輪の観客を招いての舞台に立ちました。
そして、おしゃれが大好きでした。王妃専属の女性ファッション・デザイナー、ローズ・ベルタンは、現在フランスが世界に誇るオート・クチュールの先駆けの存在で、美しい王妃という完璧なモデルを得て、王妃を広告塔に次々に最新モードを生み出し、フランスのみならずヨーロッパ全土で大流行させました。
マリー・アントワネットはまた、日本の漆器も愛し、それも、日本人にはちょっと理解しがたい外国人の趣味ではなく、日本でも立派に通用する極めて上品なデザインの京都産の漆器を何点も買い求めてコレクションしており、本展でもいくつかが展示されています。
エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン作「セギュール伯爵夫人の肖像」(1785年作/油絵)
ですがそれら以上に、なんといってもマリー・アントワネットが持っていた高い美意識がフランス芸術界にもたらした最大の功績は、女性画家ヴィジェ・ル・ブランの才能を認めた点にあります。このブログ記事トップに掲載のマリー・アントワネットの肖像画は、ヴィジェ・ル・ブランが初めて王妃を描いた作品で、王妃23歳の1778年、王妃の実家ウィーンの宮廷へ贈るためにと正装姿のマリー・アントワネットを描いた公式肖像画です。ヴィジェ・ル・ブラン自身も王妃と同い年でまだ23歳の若さだったから、決してその時点で既に有名な画家だったわけではなくむしろ大抜擢です。王妃が気に入って模写を依頼したため合計6枚制作され、ウィーン以外にも女帝エカチェリーナ2世が君主だった時代のロシア宮廷とアメリカ議会に贈られ、2枚がヴェルサイユ宮殿に残されました(うち一枚は現在日本で開催中の「マリー・アントワネット展」で展示)。本人も可憐な美貌のヴィジェ・ル・ブランは、名だたる宮廷画家の中で王妃を最も本人の外見に忠実に、かつエレガントな女性としてキャンヴァス上に見事に再現し得た唯一の画家といわれ、フランス革命勃発まで、ほとんど王妃専属といっていいほど何十枚もの肖像画を王妃から依頼されました。ヴェルサイユから各国の宮廷に美しい王妃の肖像画が送られたことによって、かつてフランスに駐在し王妃を間近に見たことがある諸外国の外交官たちが、本国の君主に「フランス王妃はこの肖像画通りの美貌の持ち主です」と大いに喧伝したことから画家としてのヴィジェ・ル・ブランの名声もヨーロッパ全土に広まり、当時のヨーロッパで最も人気ある画家となっただけでなく、現在もマリー・アントワネットの時代のフランスを代表する一流の画家として知られています。そのきっかけを作ってくれたのがマリー・アントワネットなのです。1783年には王立絵画彫刻アカデミーの会員にもなれましたが、女性であることなどからヴィジェ・ル・ブランの入会を反対する声が大きかったのを、マリー・アントワネットが夫ルイ16世に働きかけて実現したという経緯があり、ヴィジェ・ル・ブランはそれほど王妃のお気に入りだったといえます。
ヴィジェ・ル・ブランといえば、池田理代子作の「ベルサイユのばら」にも出てきますが、妊娠中の彼女が王妃の肖像画を描いている最中に絵の具を床に落としてしまった際、拾おうとするヴィジェ・ル・ブランを「あなたは身重だからしゃがんではいけません」と制して王妃が拾ったというエピソードは事実です。現代人からしたら妊婦を気遣う当たり前の行為に見えますが、フランス式のテイブル・マナーにカトラリーを落としたら給仕に拾ってもらうという決まりがあるように、フランス王妃が誰かのために床にしゃがんで物を拾ってあげるなどというのは本来あり得ない破格の厚意であり優しさなのです。また、乗馬が得意だったマリー・アントワネットは王の狩猟に同行することもありましたが、獲物を追いかけて皆、せっかく農民が耕した畑の中も無神経に馬を走らせる中、彼女だけは決して畑を横切らず遠回りしたといいます。マリー・アントワネットに関してはこういったエピソードがほかにも山のようにあります。マリー・アントワネットの趣味が反映された絵画や調度品が、単にエレガントなだけでなくどこか優しいぬくもりに満ちているのはそのせいかもしれません。
「ヴェルイサイユ展〜王宮の至宝〜」ブログ記事
その1:太陽王ルイ14世の時代
その2:最愛王ルイ15世の時代
その3:王妃マリー・アントワネットの時代
その4:ランバル公妃
その5:ポリニャック公爵夫人
Versailles: Treasures from the Palace – info
●会場:オーストラリア国立美術館(National Gallery of Australia, Parkes Place, Parkes)●期間:4月17日まで絶賛開催中 ●開館時間(休館日なし):10am-5pm ●料金:大人/入場券$27、プレミアム(土日のみ一般開館1時間前の9pmに入場可能)$56、入場券+カタログ$68、入場券+シャンパン$53、コンセッション/入場券$25、入場券+カタログ$66、入場券+シャンパン$51(※いずれもオーディオ・ガイドは追加$7) ☎ (02)6240-6411 nga.gov.au