「ヴェルサイユ展〜王宮の至宝〜」(その5:ポリニャック公爵夫人)

素顔は本当に天使の顔をした悪魔だったのか?

 先月ご紹介したランバル公妃(ブログ記事はこちら!)のほかに、フランス国王ルイ16世妃マリー・アントワネットにはその生涯を通じてもうひとり親友がいました。ここに肖像画を掲載のポリニャック公爵夫人です。奇しくもランバル公妃とポリニャック公爵夫人は誕生日も生まれた年も同じ1749年9月8日で王妃の6歳年上です。

エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン作「ポリニャック公爵夫人ヨランド・マルティーヌ・ガブリエル・ドゥ・ポラストロンの肖像」(※以下、ここに掲載の画像の作品はすべて「ヴェルサイユ展〜王宮の至宝〜」で展示中)
versailles1704

 日本では一般にポリニャック“伯”爵夫人として知られており、それは間違いではありません。王妃の威光によって1782年、夫ポリニャック伯爵が初代ポリニャック公爵に陞爵(しょうしゃく)、つまり格上げされたのです。この肖像画が描かれたのと同じ年で、王妃マリー・アントワネットお抱えの一流の女性画家でもあったヴィジェ・ル・ブランは権勢の絶頂にあったポリニャック公爵夫人の美しさを見事にとらえています。

 マリー・アントワネットが初めてポリニャック伯爵夫人(当時)に出会ったのは王妃となった翌年、まだランバル公妃が王妃の寵愛を独占していた時でした。19歳の王妃は既に2児の母親となっていた25歳のポリニャック夫人のしっとりとした美しさとたたずまいに魅了され、なぜ今までお目にかからなかったのでしょうと本人に尋ねました。すると伯爵夫人は「ヴェルサイユに住めるほどの経済的余裕がないからです」と答えました。実際、彼女の実家ポラストロン伯爵家も嫁ぎ先のポリニャック伯爵家も家柄こそ由緒正しかったものの斜陽貴族でした。虚栄心の塊のような廷臣たちに囲まれた宮廷にあって、自分を偽らないその一言に王妃は胸を打たれ、ポリニャック家が抱えていた借金をすべて肩代わりし、さらにこちらも全宮廷人が唖然とするような莫大な下賜金を与えました。こうして「経済的余裕がなかった」ポリニャック夫人は一夜にして大資産家となり、晴れてヴェルサイユ宮殿の住人となりました。ついにはランバル公妃が手にしていた女官総監のポストも奪い、後に王妃が出産すると王家の子女の養育係(英語でいうガヴァネス)という要職も与えられ、貴族女性にとって最高の栄誉である公爵夫人の称号まで手に入れました。陞爵(しょうしゃく)は本来、国家に対する多大なる貢献を果たした貴族に与えられるもので、先王ルイ15世が平民女性を自身の公式寵姫にするためにポンパドゥール侯爵夫人の地位を作り上げ寵姫に授けたように、ポリニャック伯爵がポリニャック公爵となれたのはマリー・アントワネットの個人的意向、つまりわがままのみによって実現しました。革命勃発後は別として、それ以前のルイ16世は王妃を一切国政に関与させませんでしたが、ポリニャック家が政治的影響力を持つことはなく、その点を踏まえた上での王妃のわがままにはとことん甘い夫でもありました。

versailles1704-2鳥かご(18世紀作)

 それまでしがない貧乏貴族夫人にすぎなかったのに王妃の寵愛を受けてヴェルサイユで飛ぶ鳥を落とす勢いの権勢を誇るようになったポリニャック夫人のことを敵視する宮廷人は当然少なくありませんでしたが、概ね、例え彼女のことを嫌ってはいても当時の誰からもその憂いある美貌については絶賛されており、後世のどの歴史家もその点は認めつつ、「天使のような顔をして王妃に近付き、自身の一族のために私利私欲を貪った悪魔のような女性」と酷評しています。決定打は、フランス革命の勃発とされる1789年7月14日に起こったバスティーユ襲撃の直後、王妃を見捨てて真っ先に国外へ亡命した事実にもあります。ランバル公妃が逆に安全な場所から王妃のもとへ戻ったことから、王妃の親友二人が取った行動のコントラストが際立ってしまったことも理由でしょう。

 …でも、実のところはどうだったのでしょうか?

 バスティーユ陥落のニュースがその翌日パリからヴェルサイユへ届き、宮殿中が右往左往する中、ポリニャック夫人本人はヴェルサイユに留まりたいと王妃に願い出ています。それを王妃に却下され一刻も早く出発するようにという「命令」を受け、その直後に亡命しました。時系列だけを見ると確かに「真っ先に」ではありますが、ヴェルサイユに残っていたら間違いなくランバル公妃同様、命を落としていたはずです(王妃はランバル公妃にも手紙で「戻ってこないように」と言い含めていました)。亡命に当たってポリニャック夫人は、素性を見破られないよう召使に変装しています。王妃、ランバル公妃、ポリニャック公爵夫人の3人は民衆から心底憎悪されており、事態はそれほど深刻だったのです。マリー・アントワネットは当然、ヴェルサイユを発つポリニャック夫人を馬車まで見送りに出たかったのですが、王妃が宮殿の外に出てくることで、その馬車にポリニャック夫人が乗っているのだと悟られないよう、王妃は最愛の親友を見送ることもできず、いよいよ馬車が出発するという時間になって王妃はとっさに別れの言葉を一言だけ便箋にしたため、その部分だけを引きちぎって、亡命先までの道中の足しにするようにと大金の金貨を詰めた袋とともに使いの者に託しました。短い一言であっても、便箋ごと折るなりして渡せば済んだ話でしょうが、王妃もそれほど気が動転していたのでしょう。

扇(1776~1800年作)
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 やはり歴史本ではあまり触れられないその後ですが、革命勃発から4年後、ポリニャック公爵夫人は亡命先のウィーンで44歳の若さにして急死しました。死因は癌または結核とされていますが、マリー・アントワネットが処刑されてからわずか2カ月後のことでした。最愛の王妃の訃報が、既に病の床に臥せっていたポリニャック夫人の心を打ち砕き、その死を早めたのは間違いないはずですが、彼女のことをあくまでも悪女として読者に印象付けたい歴史家にとっては都合の悪い事実なのであっさり無視されることが多いです。

「ヴェルイサイユ展〜王宮の至宝〜」ブログ記事
その1:太陽王ルイ14世の時代
その2:最愛王ルイ15世の時代
その3:王妃マリー・アントワネットの時代
その4:ランバル公妃
その5:ポリニャック公爵夫人

Versailles: Treasures from the Palace – info

●会場:オーストラリア国立美術館(National Gallery of Australia, Parkes Place, Parkes)●期間:2017年4月17日(月)まで絶賛開催中 ●開館時間(休館日なし):10am-5pm ●料金:大人/入場券$27、プレミアム(土日のみ一般開館1時間前の9pmに入場可能)$56、入場券+カタログ$68、入場券+シャンパン$53、コンセッション/入場券$25、入場券+カタログ$66、入場券+シャンパン$51(※いずれもオーディオ・ガイドは追加$7) ☎ (02)6240-6411 nga.gov.au