バロック建築の真髄を極めた大宮殿の完成
その1:太陽王ルイ14世の時代
フランス・パリ郊外にある世界遺産ヴェルサイユ宮殿美術館が所蔵する絵画やゴブラン織のタペストリー、見事な細工が施された家具に、宮殿内部だけでなく庭園に置かれた彫刻、ルイ14世からマリー・アントワネットまで歴代王族の個人的な所有品など130点以上を借り受けて送る大規模な「ヴェルサイユ展〜王宮の至宝〜」が12月9日から2017年4月17日まで、キャンベラのオーストラリア国立美術館で開催されます。ジャパラリアでは今後数カ月にわたり、毎月時代ごとに順を追って同展の見どころを紹介していきたいと思います。
正門奥に広がるヴェルサイユ宮殿の正殿
フランス革命前までに限定すると、ヴェルサイユ宮殿にはルイ14世、ルイ15世、ルイ16世のフランス王家3代の国王がここを王宮として居住しました。ルイ王朝時代の絢爛たる文化芸術は、いずれもヴェルサイユ宮殿を舞台に花開きました。
ブルボン王朝2代目の国王ルイ13世が好んで狩猟に訪れていたパリ郊外ヴェルサイユの地に1624年、王が滞在するための小ぢんまりとした瀟洒な「狩猟の館」が建てられ、これが後のヴェルサイユ宮殿の原型となりましたが、当時の宮廷所在地はあくまでも首都パリで、王とその家族たちは現在美術館として世界的に名高いルーヴル宮殿に住んでいました。1643年、ルイ13世の死によってまだ4歳の息子が新国王ルイ14世として即位、ルイ13世妃である母后アンヌ・ドートリッシュが摂政となります。
ジャン・ヴァラン作「ルイ14世の胸像」(1665~66年作/大理石彫刻/※以下、ここに掲載の画像の作品はすべて「ヴェルサイユ展〜王宮の至宝〜」で展示中)
22歳にして晴れて自らが政治を執り行う親政を開始したのと同じ1661年、若き国王ルイ14世は、時の財務総監(当時のフランスにおける大蔵・財務大臣に相当)ニコラ・フーケが建てたフーケ自慢の城館ヴォー・ル・ヴィコントでの饗宴に招かれます。王家を凌ぐとまでいわれた大資産家フーケの贅の限りを尽くした宴そのものもですが、当代随一の建築家や造園家、そしてもちろん天井画も一流の画家が手がけたヴォー・ル・ヴィコント城の豪華さに王は激しく嫉妬心を掻き立てられました。建物の規模だけでいえばルーヴル宮殿のほうが大きいですが、ヴォー・ル・ヴィコントが擁する広大な庭園は人口密度の高いパリでは望み得ないものでした。ちなみに現代、ブルボン王朝を舞台にした映画ではヴォー・ル・ヴィコントが撮影ロケ地としてたびたび登場します。ハリウッド映画「マリー・アントワネットの首飾り(The Affair of the Necklace)」(01)では首飾り事件に巻き込まれるロアン枢機卿の館として、また、ヴェルサイユ宮殿での撮影許可が取れなかったからなのか諸事情からなのか、最初から王の住む宮殿という設定で使用されたレオナルド・ディカプリオ主演の「仮面の男(The Man in the Iron Mask)」(98)などもあります。つまりはそれほどヴォー・ル・ヴィコントが王宮並みの豪華な城館だということです。
フーケの城からパリに戻るやいなや、ルイ14世はル・ヴォーを呼び寄せます。ヴォー・ル・ヴィコントの建築家である彼に、王はヴェルサイユにある狩猟館の増築を命じました。こうしてルイ14世は、欧州列強のどの君主も夢にも考え得なかった、まさに夢のような大宮殿を生み出すことになるのです。
ヴェルサイユの増築に当たっては、ル・ヴォーのほかに建築家マンサール、画家ル・ブラン、造園家ル・ノートルが起用されました。いずれも現代に名を残すそれぞれの分野での巨匠たちです。
ヴェルサイユ庭園にある最も有名な噴水のひとつ「ラトナの泉水」の頂に立つ総重量1.5トンに及ぶ神話の女神ラトナ像が運ばれて展示されることも本展の話題
とはいえ、宮廷所在地を首都から郊外へ移すことは内乱のリスクを伴うのも事実です。今と違って最速の伝達技術が早馬しかなかった当時、首都で何か問題が起こった時、即座に対応できないからです。「お膝元」という日本語がある通り、ロンドンのバッキンガム宮殿やヴェルサイユ以前の宮廷所在地だったルーヴルが街中にあるのはそのためで、日本各地の城の天守閣も概ね市街地を見下ろす高台に立っているものです。その難点を踏まえ、それでもあえて宮廷をパリから移す英断を下したルイ14世が取った方法とは? これこそがまさにヴェルサイユ宮殿の「存在意義」になり得るものでした。
ルイ14世は、ヴェルサイユ宮殿に自分の家族だけでなく大臣や主だった貴族を含む大勢の廷臣を住まわせました。護衛や使用人も含めてですが、ヴェルサイユ宮殿には常に3,000人が暮らしていたといいます。廷臣を身近に置いて監視するのが目的でした。
画家シャルル・ル・ブラン図案によるルイ14世を描いたゴブラン織の連作タペストリー「王の歴史」より「ローマ教皇使節の謁見」(1665~80年作/羊毛・絹糸・金糸を使った綴れ織り)
前述の「存在意義」は、でも単にヴェルサイユ宮殿が貴族たちの行動を見張るための「入れ物」だったことだけではありません。どれだけ「箱」が立派でも中身が空っぽでは失笑を買うだけです。ルイ14世は自身もダンサーとして舞台に立つほどの才能の持ち主だったことからも分かりますが、とりわけ舞台芸術を愛し、舞台関連のみならずさまざまな芸術家や作家を庇護しました。ルイ14世が生まれる前に活躍したイギリスのシェイクスピアは悲劇も喜劇も書きましたが、ルイ14世の時代のフランスでは同じように悲喜劇両方こなすコルネイユだけでなく、悲劇はラシーヌ、喜劇ならモリエールといった具合に3人もの偉大な劇作家が生まれました。音楽では宮廷楽長の座に上り詰めた大作曲家リュリが、絵画では前述のル・ブランのほか本展でも展示される有名な油絵で日本の高校の世界史の教科書にも載っている「ルイ14世の肖像」で名高いリゴーが…。
イアサント・リゴー作「ルイ14世の肖像」(1701〜12年作)
つまりルイ14世は、監視下に置いた廷臣たちに十分な「お楽しみ」も提供したのです。王自身、派手な生活が好みだったのではあるでしょうが、結果的にこうしためくるめくような宮廷生活は、そこに住む宮廷人たちを骨抜きにしてしまう上で絶大な効果を発揮しました。ヴェルサイユで王の側近くに住んでいたら毎日がお祭りのように楽しくて、謀反など考えるのも馬鹿らしいというわけです。ヴェルサイユに宮廷が移って以来フランス革命まで、対外戦争は幾度となくありましたが少なくとも内乱は一度も起こりませんでした。
また、宮廷住まいの貴族たちは莫大な出費を強いられました。分かりやすい例だと流行が変わるごとに新調しなければならない豪華な衣装や宝飾品などですが、それ以外でも宮廷人たちの日々の「生活費」は当然自腹だったので、格別に王の寵愛を受けて引き立てられない限り、貧乏貴族にはヴェルサイユ住まいは不可能でした。このあたりの事情は、日本の徳川幕府が参勤交代を義務付けることによって全国の藩主たちに散財させ、やはり定期的にその動向を監視したのと酷似していて興味深いです。
ルイ14世の遠征すべてに随行したと言われるフランドル出身の画家メーレン作「アラスに入城するルイ14世と王妃マリー・テレーズ」(1685年作)
こうしてバロック建築の真髄を極めたヴェルサイユ宮殿の完成とともに、ルイ14世の時代は最盛期を迎えました。「太陽王」と呼ばれるに値する王者の威光を余すことなく放ったルイ14世の治世下、まさに光り輝く黄金のヴェルサイユ宮殿で17世紀フランスは難攻不落の中央集権を築き上げ、絶対王政の基盤を固めました。国内の平和が各種産業はもとより文化芸術の多大な発展につながり、その意味で、ヴェルサイユ宮殿が果たした役割は計り知れないほど大きいといえるでしょう。
「ヴェルイサイユ展〜王宮の至宝〜」ブログ記事
その1:太陽王ルイ14世の時代
その2:最愛王ルイ15世の時代
その3:王妃マリー・アントワネットの時代
その4:ランバル公妃
その5:ポリニャック公爵夫人
Versailles: Treasures from the Palace – info
●会場:オーストラリア国立美術館(National Gallery of Australia, Parkes Place, Parkes)●期間:2016年12月9日~2017年4月17日 ●開館時間(12月25日を除き休館日なし):10am-5pm ●料金:大人/入場券$27、プレミアム入場券(土日のみ一般開館1時間前の9pmに入場可能)$56、入場券+カタログ$68、入場券+シャンパン$53、コンセッション/入場券$25、入場券+カタログ$66、入場券+シャンパン$51(※いずれもオーディオ・ガイドは追加$7) ☎ (02)6240-6411 nga.gov.au