「ヴェルサイユ展〜王宮の至宝〜」(その4:ランバル公妃)

王家と運命をともにした悲劇の女性

 フランス革命後、王家が所有していた「モナ・リザ」などヴェルサイユ宮殿からルーヴル美術館へ移された作品もありますが、王家縁の人々の肖像画の多くは今もヴェルサイユ宮殿に残されています。2017年4月17日までキャンベラのオーストラリア国立美術館で絶賛開催中の「ヴェルサイユ展〜王宮の至宝〜」で展示されているシャルパンティエ作「パンティエーヴル公爵一家の肖像」もそのひとつ。

ジャン・バティスト・シャルパンティエ作「パンティエーヴル公爵一家の肖像」(1768年作/油絵)
La Famille du duc de PenthiËvre en 1768 dit aussi La Tasse de Chocolat

 左端に描かれているのがパンティエーヴル公爵で、公爵はルイ14世と公妾(国王の公式寵姫)モンテスパン侯爵夫人の孫、そしてこの絵には描かれていませんが妻である公爵夫人はこちらもルイ14世とモンテスパン侯爵夫人の曾孫(ひ孫)に当たります。公爵の右の二人が息子ランバル公子夫妻、中央奥に立っているのは公爵の娘ルイーズ・マリー・アデライードでこの肖像画が描かれた1768年の翌1769年にドルレアン(オルレアン)公爵ルイ・フィリップ2世の妻となりました。パンティエーヴル公爵の妻は若くして亡くなったため右端の女性は公爵の母トゥールーズ伯爵夫人といわれていますが伯爵夫人もこの絵が描かれる2年前の1766年には他界しており、つまり1767年にランバル公子に嫁いだランバル公妃とトゥールーズ伯爵夫人は会ったことがないため、時系列の合わない顔ぶれが一堂に描かれた不思議な一枚でもあります。そんな家族の肖像の中でひときわ目立つ、絵の中央で片手にホット・チョコレートのカップを持ち、もう片方の手でスパニエル犬に食べ物を与えているランバル公妃マリー・テレーズ・ルイーズは、ルイ16世妃マリー・アントワネットの親友のひとりとして知られます。

 父からも母からもルイ14世の血を受けた夫ランバル公子の家柄に負けず劣らず、マリー・テレーズ・ルイーズもイタリアはトリノのサヴォイア王家の一族から17歳の時に嫁いだ名門出でした。結婚の翌年に早々に夫に先立たれ、マリー・アントワネットがオーストリアからフランス王太子(後のフランス国王ルイ16世)に嫁いできた1770年にヴェルサイユ宮殿で宮仕えを始めました。まだ14歳の少女だったマリー・アントワネットは、国は違えど同じように外国出身で6歳年上のランバル公妃にウィーン宮廷で仲良くしていた姉の面影を見出したのでしょうか、すぐにランバル公妃に夢中になりました。

versailles1703晴雨計(1773〜75年作)

 ランバル公妃はその出自からも分かりますが経済面で不自由したことはなく、義父パンティエーヴル公爵も巨万の富を誇り、若くして未亡人となった息子の嫁を不憫に思い気前よく援助していましたが、マリー・アントワネットは王妃になるや先代ルイ15世の妃が俸給が法外すぎるからと廃止した「女官総監」のポストをわざわざ復活させランバル公妃に与えました。日本の江戸時代で例えるなら「大奥総取締役」のような、「女官長」を凌ぐ最上位のポジションです。ランバル公妃に対するこの破格の厚遇は単にマリー・アントワネットのわがままからだけではなく、家名を重んじたパンティエーヴル公爵の、亡き息子の嫁に対しその身分にふさわしいポジションをという要求もあってのことでした。

 ですが、もともとおっとりとしたお姫様気質かつ裕福だった当のランバル公妃は宮廷で私利私欲を貪ることには興味がなく、王妃の親友という立場のみに満足していました。肖像画の通り美しく魅惑的な女性でしたが、当時の周囲からの評価は、王妃の寵愛を一身に受けた公妃に対する嫉妬心を差し引いても芳しくなく、「おしゃれと噂話にうつつを抜かすばかりで頭は空っぽだった」などさんざんです。マリー・アントワネットも大人になるにつれてなんとなく物足りなくなったようで、ポリニャック伯爵夫人と出会ってから王妃の寵愛は次第に伯爵夫人に移りますが、前述の通り権勢欲のなかった公妃は伯爵夫人と張り合う気もなく潔く宮廷を退いています。

 いずれにせよ、親友・王妃としてのマリー・アントワネットに対する公妃の友情と忠誠心は生涯変わらず、革命勃発後、多くの宮廷人が国外へ亡命した中、公妃は身の危険を顧みず王妃のもとへ戻りました。民衆から憎まれていたのは王妃だけではなく、王妃の取り巻きのひとりとしてポリニャック夫人と並び国民の間で最も悪名高かった公妃も同じだから自殺行為のようなものですが、国王一家がヴェルサイユ宮殿からパリのテュイルリー宮殿へ、そこからさらにタンプル塔に移された時も公妃は同行、その後、一家から引き離され別の監獄に幽閉されました。

 王家の権威が失墜した後も自分のもとに戻ってくれたランバル公妃にマリー・アントワネットも友人として心からの愛情を持っていたことは疑いの余地がありませんが、ランバル公妃の守秘能力を疑っていたようです。国王一家が半ば軟禁状態にあったテュイルリー宮殿を脱出して王妃の祖国オーストリアへの亡命を図ったものの結局失敗に終わりパリへ連れ戻された有名なヴァレンヌ逃亡事件の際、王家の子女の養育係トゥールゼル侯爵夫人が国王一家とともに亡命の途に随行した中、テュイルリー宮殿で王妃の最も身近にいたランバル公妃は事前に逃亡計画を一言も知らされていませんでした。

 ヴァレンヌ逃亡事件の直後、公妃は単身国外への脱出に成功、王妃から戻ってこないようにと強く言い含められたランバル公妃でしたが安全な地から再度パリへ戻り、前述の通り王家と引き離され監獄に幽閉されていた1792年9月3日に起こった有名な「九月虐殺」の犠牲者のひとりとして公妃は民衆に惨殺されました。42歳でした。殺される直前、民衆の前に引きずり出された公妃は王妃についての不利な証言を求められましたが、公妃は一言も王妃の立場をおとしめるような言葉は発せず固く口を閉ざしたまま命を落としました。マリー・アントワネットが懸念した公妃の“守秘能力”とはこれまた別の次元ではあるでしょうが、王妃に対する公妃の忠誠心は死の恐怖を前にしても揺るぎませんでした。

 その日、タンプル塔にいた国王一家は、塔の外がいつもより騒がしいことに気づきました。何事かと問いただす王に、部屋にいた番兵はそっけなく答えました。

「ランバル夫人の生首を(槍の穂先に掲げて)持ってきて、王妃がキスすることを求めているようです」

 その場にいて、革命後、一家唯一の生き残りとなった国王夫妻の娘マリー・テレーズは後に、「母が気を失ったのを見たのはこの時だけだった」と回想しています。

「ヴェルイサイユ展〜王宮の至宝〜」ブログ記事
その1:太陽王ルイ14世の時代
その2:最愛王ルイ15世の時代
その3:王妃マリー・アントワネットの時代
その4:ランバル公妃
その5:ポリニャック公爵夫人

Versailles: Treasures from the Palace – info

●会場:オーストラリア国立美術館(National Gallery of Australia, Parkes Place, Parkes)●期間:2017年4月17日まで絶賛開催中 ●開館時間(休館日なし):10am-5pm ●料金:大人/入場券$27、プレミアム(土日のみ一般開館1時間前の9pmに入場可能)$56、入場券+カタログ$68、入場券+シャンパン$53、コンセッション/入場券$25、入場券+カタログ$66、入場券+シャンパン$51(※いずれもオーディオ・ガイドは追加$7) ☎ (02)6240-6411 nga.gov.au