「20代の私に『頑張ってくれてありがとう!』
と感謝することがあります」
吉良友木子さん
銀行員(セントラル・オペレイション・アナリスト)
Yukiko Kira
「昔から海外への憧れがあり、高校留学も考えましたが卒業時期が日本と違うことから断念、短大も留学制度を実施していた英文科に入ったのですがクジ引きで外れてしまって行けずじまい(笑)。結局、一度も海外に行ったことがないまま就職することになってしまい、かなり“やり残した感”がありました」
シドニーに支店を構える日本の大手銀行でフルタイム勤務している友木子(ゆきこ)さん。短大卒業と同時に日本で就職したのも銀行で、偶然にも同じ銀行のシドニー支店に現地採用された。
「日本で銀行に就職すると退職するまで長期の休みが取れないため、そこでも海外行きは一時保留に。だったら3年は頑張って働こうと決めましたが最初の1年はとにかく大変でした。新人は窓口からのスタートで、忙しい日は窓口3人に対して待ち人数がどんどん増えて50人近くになったこともあり、手が震えました。慣れないうちは慎重に処理をするから時間もかかり、お客様も待たされてイライラしているし、周りの先輩方も忙しくて分からないことがあっても聞けない雰囲気で…。まさに自分だけ違う暗い恐ろしい世界にいる気分でした(笑)」
窓口が閉まった後も当然すぐ帰宅できるわけではなく、友木子さんいわく「ここからが恐怖の第2ラウンドなんです(笑)」と振り返る。
「お金は基本機械で数えていますが金額は手入力でしたし、機械が数えている途中で引っかかって止まることもあり、窓口を閉めた後のその日のお金の計算が1円合わないだけでも合うまで全員帰れないというのは本当です。原因が判明すると『誰それのミスだった』と支店中に伝わり、それでなくとも焦りやすい人やお客さんに怒られやすい人はストレスも多く辞める人もいました。私もトイレで泣いたことが何度もあります」
そんな友木子さんだったが結局、当初予定していた3年ではなく6年間、その銀行で勤めた。
「辞めたいと思った時は学生時代に所属していた陸上部の練習を思い出して『どんなしんどい状態でもそのうち終わる! 1年目はどんな仕事でも大変なもの! 先輩はそんなにあたふたしてない!』と自分に言い聞かせて一日一日に集中しました。嫌なことを忘れるのが得意ですし、そのころテニスのレッスンに行き始め、思いっきりボールを打ってストレス発散したのもよかったですね。自分の気分をコントロールすることの大事さを学んだような気がします。怒涛の1年目が終わり、2年目になると精神的に楽になりました」
6年後に退職し、当時のギリホリ年齢だった25歳の時に来豪。夫となるマケドニア系オージー男性と知り合い結婚、現在14歳と11歳の2児の母親でもある。フルタイムの仕事の傍らお菓子やパン作りにも精を出し、ピアノやアクリル画も習ったりと、家族との生活と個人の趣味の分野でも充実した毎日を送っている。
趣味のお菓子作りは小分け包装してボックスに詰めるなどまるで市販のもののようで、プレゼントすると大層喜ばれるというのも納得
「2人目が産まれるまでは外資系の金融会社で働いていましたが、その後5年間、専業主婦をしました。まだ幼い子供とずーっと家にいると、もう社会人として働けないんじゃないかという不安が襲ってきました。多分、仕事をしていたお母さんで今だけ専業主婦をしていると考えている多くの女性が陥る思考回路に私もすっかりはまりました(笑)。でも願っていれば必ず叶うはず。そしてそれは本当なんだと自分の経験から分かりました。このコラムに登場していることもまさにその一つです。いつも輝いている女性の話を読ませていただいて、素敵な人たちがいっぱいいるんだなあ、私もこんなふうに輝きたいなあと感心している一読者だったのに、まさか自分に声をかけていただける日がくるなんて、ホントに驚きました。社会人になって大変な思いをして学んだことが役に立っています。時々20代の私に『頑張ってくれてありがとう!』と感謝することがあります。そして、将来の自分が今の自分に対しても、そう思えるようになるといいなと思います」
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