※2023年4月16日更新
「華麗なるギャツビー」
The Great Gatsby
(オーストラリア、日本ともに2013年公開/143分/M/ロマンス)
監督:バズ・ラーマン
出演:レオナルド・ディカプリオ/トビー・マグワイア/キャリー・マリガン/ジョエル・エジャトン/エリザベス・デビッキ
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20世紀前半のアメリカ文学を代表する作家のひとりF・スコット・フィッツジェラルド(1896〜1940)が1925年に発表した格調高いベスト・セラー小説の映画化で、「ロミオ+ジュリエット」(96)、「ムーラン・ルージュ」(01)、「オーストラリア」(08)、「エルヴィス」(22)のオージー監督バズ・ラーマン(「ダンシング・ヒーロー」)が「ロミオ+ジュリエット」でロミオを演じたレオナルド・ディカプリオを再度主役に起用して取り組んだオーストラリアとアメリカの合作映画。2D版のほか3D版も用意され、ラーマン監督夫人で夫が監督したすべての映画の美術監督を務めているキャサリン・マーティンが本作でも美術と衣装デザインを担当、第66回カンヌ国際映画祭オープニング作品に選ばれ(カンヌでは3D版が上映された)、同年度オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー(AACTAの頭文字から“アークタ”と呼ばれる)賞では実に主要13部門14候補となり(エリザベス・デビッキとアイラ・フィッシャーが助演女優賞のカテゴリーでダブル・ノミネイションを受けた)、作品、監督、主演男優(ディカプリオ)、助演男優(ジョエル・エジャトン)、助演女優(エリザベス・デビッキ)、撮影、編集、音響、作曲、美術、衣装デザイン、映像処理賞の12部門受賞に輝いたほか(受賞を逸した部門はキャリー・マリガンの主演女優賞のみ)、米オスカーでも美術賞と衣装デザイン賞の2部門候補となり両方を受賞した。ちなみにキャサリン・マーティンは本作と「ムーラン・ルージュ」で2度オスカー受賞(両作品とも美術賞と衣装デザイン賞の2部門を制覇)、「ロミオ+ジュリエット」「オーストラリア」「エルヴィス」を含めこれまでに合計5作品(つまりハリウッド進出後のすべてのラーマン監督作品)でオスカーにノミネイトされている。全編1920年代のNYを舞台にした物語だが、撮影はNYの5スター・ホテル、プラザ・ホテルなどごく一部を除きシドニーで行われ、1億ドル以上の巨額の制作費に対して興収も全世界で3億5,000万ドルを突破する大ヒットを記録した。
主人公ジェイ・ギャツビーを演じるレオナルド・ディカプリオとデイジー役のキャリー・マリガン
タイトル・ロールである主人公ジェイ・ギャツビーを演じたレオナルド・ディカプリオは本作以外にも前述の「ロミオ+ジュリエット」や「仮面の男(The Man in the Iron Mask)」(98)など有名な小説・戯曲を映画化した作品に主演しており、「ロミオ」「仮面」「ギャツビー」いずれもディカプリオ版以前にも何度か映画化されているが、明らかに“ディカプリオ版が一番!”または一番でないにしても既存版に負けず劣らずと言い切れるのは「ロミオ」のみだ。「仮面の男」に至っては、劇場映画でもないTV映画版(※リチャード・チェンバレンがディカプリオと同じ役柄を演じた1977年の英米合作TV映画)の圧勝である。ギャツビー役に関しては特に、過去に演じたのがロバート・レッドフォードでは相手が悪すぎる。俳優としてのオスカー候補/受賞歴の“数”の上ではディカプリオの方が勝っているが、1974年版の「華麗なるギャツビー」はレッドフォードが“アメリカいちのハンサム”と例えられていた絶頂期だっただけでなく、レッドフォードを含み往年のハリウッド・スター男優が兼ね備えていた男らしさの中にある“気品”はディカプリオにはない。つまり、ロミオのように新鮮味のある役柄においては光り輝くディカプリオも、重厚感が何よりも求められる作品の、それも主役としては役不足になってしまうこともあるという意味だ。ディカプリオが確かな実力を伴う俳優であることは間違いないので、これはあくまでもディカプリオが持つ(または放つ)“雰囲気”が合わない役柄もあるという記者の個人的な意見である。
物語の語り部であるもうひとりの主人公ニック・キャラウェイ役のトビー・マグワイア
ディカプリオを抜きにしても、どうしても最も有名な74年版と比べられがちな映画だが、ここはひとつ、両者は全くの別物と切り離して楽しむべきだろう。実際には74年版に対するバズ・ラーマン監督の思い入れの深さを物語るような非常によく似たシーンもいくつもあるが、こちらもパクリというよりはオマージュと受け取るべきだろう。
デイジーの夫で巨万の富を誇るトム・ブキャナン役のジョエル・エジャトン
ギャツビー以外の主要キャラクターは、本作の語り部でありギャツビーの唯一の理解者でもあるもうひとりの主人公ニック・キャラウェイ役のトビー・マグワイアがディカプリオと同じくアメリカ人男優、ギャツビーが思いを寄せるデイジー役のキャリー・マリガンがイギリス人女優だが、デイジーの夫トム・ブキャナン役のジョエル・エジャトン(「アニマル・キングダム」「ケリー・ザ・ギャング」「シークレット・メンズ・ビジネス」)、デイジーの親友ジョーダン・ベイカー役のエリザベス・デビッキ(「ブレス あの波の向こうへ」「ア・フュー・ベスト・メン」)、トムが浮気しているマートル役アイラ・フィッシャー、マートルの夫ジョージ役ジェイソン・クラークの4人はオージー男女優で固められた(※ジョエル・エジャトンの名字は“Edgerton”という綴りからか日本では“エドガートン”と記載されるが“エジャトン”が正解)。
デイジーの親友ジョーダン・ベイカー役のエリザベス・デビッキ
やはり同じように上記主要キャラ以外も、ニックを診察する精神科医役にジャック・トンプソン(「オーストラリア」「人生は上々だ!」「英雄モラント/傷だらけの戦士」「サンデイ・トゥー・ファー・アウェイ」)、ギャツビー家の執事役リチャード・カーター(「イースト・ウエスト101 ① ② ③」「タップ・ドッグス」)、ブキャナン家の使用人アンリ役フェリックス・ウィリアムソン(「パーム・ビーチ」「ストレンジ・プラネット」「サンク・ゴッド・ヒー・メット・リズィー」)、ギャツビーの若年期を演じるカラン・マッコーリフ、デイジーの母親役ヘザー・ミッチェル(「パーム・ビーチ」「台風の目」「サンク・ゴッド・ヒー・メット・リズィー」「ミュリエルの結婚」)、マートルの妹キャサリン役アデレイド・クレメンス、そして若かりし日のまだ貧しかったギャツビーを実の息子のように可愛がってくれた富豪ダン・コーディ役には「マッドマックス」シリーズ1作目(79)でメル・ギブソン扮するマックスの相棒刑事グース役が同映画ファンの記憶に残るスティーヴ・ビズレーといった具合にいずれもオージー俳優が脇を固め、さらには“物憂げな女性(Languid Girl)”という役でオージー・スーパーモデルのジェマ・ウォード、ウェイター役でラーマン監督本人が出演している点にも注目。また、物語の象徴的なキャラクターでもある“フクロウ眼鏡の男(Owl Eyes)”役にマックス・カレン(「オーストラリア」「サンデイ・トゥー・ファー・アウェイ」)、バリー・オットー(「リベンジャー 復讐のドレス」「オーストラリア」「ハーモニー <1996年版>」「ダンシング・ヒーロー」)がベニー・マクレナハン役、マシュー・ウィテット(「オーストラリア」「バッド・コップ、バッド・コップ」「ムーラン・ルージュ」)がウラディーミル・トストフ役、ヴィンス・コロシモ(「ランタナ」「ザ・ウォグ・ボーイ」)が灰の谷(※後述)の労働者ミカエリス役で顔を出しているほか、ヤセック・コーマン(「ブレス あの波の向こうへ」「イースト・ウエスト101 ③」「オーストラリア」「ムーラン・ルージュ」「サンク・ゴッド・ヒー・メット・リズィー」)も本作ではクレジットなしだが撮影には参加していたようで、大きな役柄ではないにしても過去に一緒に仕事をしたオージー俳優たち多数を何度も繰り返し起用するラーマン監督の“義理堅い”性格が分かるようで好感度が高い。
デイジーの夫トムは車の整備工の妻マートル(アイラ・フィッシャー)と浮気しており…
74年版との比較・再びということになってしまうが男優陣に関しては良くも悪くも74年版はロバート・レッドフォードのインパクトの前にあってはそのほかのどの男優も影が薄れたため、2013年版のキャスティングはトビー・マグワイアもジョエル・エジャトンも比較的すんなり受け入れることができるし、74年版と違って影が薄くなったりもしておらず観終わった後にちゃんと印象を残す。
自分の妻がトム(ジョエル・エジャトン:右)と浮気していることを知らない車の整備工ジョージ(ジェイソン・クラーク:左)
一方の女優陣は、まず74年版ミア・ファロー、13年版キャリー・マリガンのデイジー。ファローの持つ時に憂いある雰囲気はマリガンにはないが、ギャツビーが何年も一途に愛し続けたデイジーとしてはむしろマリガンの初々しい美貌とはつらつとしたデイジーの方が説得力があるようにも思える。デイジーの親友ジョーダン・ベイカー役は74年版ロイス・チャイルズ、13年版エリザベス・デビッキで、この二人は完全に別物、どちらも甲乙つけがたい魅力を持つ。やはりどちらも全く異なるタイプの美貌の持ち主で、お色気の点ではチャイルズが優っているが、デビッキは本作の女優陣の中で最も1920年代ファッションがサマになる凛とした気品があり、また、ジョーダン・ベイカーは女性プロ・ゴルファーという設定を踏まえると、ハリウッド女優の中でも長身で名高いニコール・キッドマンやユマ・サーマン(※どちらも180センチ)より背が高い身長191センチ(!)というスラリとしたデビッキは十分な説得力もある。
デイジーを一途に愛し続けるジェイ・ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)
デイジー(キャリー・マリガン)やジョーダン・ベイカーなど女性キャラたちの豪華な衣装とアクセサリーも見どころ
純文学作品の映画化ではあるが、ストーリー自体は複雑ではないし、むしろ分かりやすい。そんな本作の見どころはバズ・ラーマン流解釈の、まさにタイトルにある通り1920年代のNYを再現した華麗なる映像美である。ほぼオール・セットでCGを駆使してはいるだろうが、ここまで派手にやってくれればしょせんはCGだからという文句も出ないというもの。物悲しい音楽で始まるオープニングからパーティで人々が浮かれる様など、ラーマン監督の別の作品「ムーラン・ルージュ」を彷彿とさせる演出が随所に見られ、マンネリというよりこれはもうラーマン監督が確立したれっきとした“ラーマン手法”として楽しむのが正解。米豪両国のアカデミー賞を受賞したキャサリン・マーティンが手がけた美術と衣装は溜息もので、女性キャラたちが身に着けた衣装はプラダ、同アクセサリーはティファニー、男性キャラの衣装はアメリカを代表する老舗紳士服ブランドのブルックス・ブラザーズが提供、ラーマン&マーティンの夫婦チームによるお馴染みの目を奪われるような画面の美しさは本作でも特筆に値し、目で楽しむだけのために観ても期待を裏切らない。
ギャツビーの屋敷で繰り広げられる派手なパーティ
デイジーをめぐっての恋敵のような立ち位置のギャツビーとブキャナンがそれぞれ構える大邸宅は、我々日本人からしたら映画における誇張だと思う人もいるだろう。確かにギャツビーの屋敷でのパーティのシーンはかなり誇張ありだとしても、それ以外においてはアメリカの大金持ちの半端なさをありのまま描いている。その一方、ブキャナンが浮気しているマートルの夫は車の整備工で、彼らが住むのは“灰の谷(Valley of Ashes)”と呼ばれる貧しい労働者階級のエリアだ。富裕層と貧困層の違いは本作では顕著には描かれないが、そのあたりの設定も留意して観たいところ。大資産家の家柄を誇るブキャナンと異なり、もともとは貧しい家の生まれのギャツビーは灰の谷に住む人々が憧れるアメリカン・ドリームを体現したことになるが、巨万の富を得た成功者として出てくる映画の最初から、ギャツビーは決して幸せそうには見えない。頻繁に自宅で催す金にあかせた豪華絢爛なパーティもそうだし、嘘で固めた自らの出自や学歴をニックに得々と語り聞かせたり、デイジーをお茶に招いた際に事前にこれでもかと室内をセッティングしたり、やはり自宅に来たデイジーに自身のありったけの富を見せつける様はそのまま、結局は成金にすぎないギャツビーの自信のなさを物語っているようで切ない。それは例えば前述のギャツビーとブキャナンの屋敷の外観からもうかがえる。どちらも壮麗な大邸宅だがブキャナン邸はギリシャ復興様式を意識したような気品あるファサードであるのに対してギャツビーのそれはまるでシンデレラ城さながら、中世フランスの古城スタイルで20世紀前半にはかなり時代遅れだと見なされていたし、いかにも成金が好みそうな趣味だ。
ブキャナン邸
ギャツビー邸
ディカプリオは、少なくともそんなギャツビーの繊細な心情に関しては巧みに演じきっており、ラーマン監督がディカプリオを起用したのは「ロミオ」でディカプリオと一緒に組んだからという理由だけではなく、ディカプリオには、いや、ディカプリオだからこそギャツビーの最もコアな部分が表現できると確信していたからなのかもしれない。その意味では2013年版「華麗なるギャツビー」は十分成功していると評していいだろう。
STORY
アメリカ、特に大都会NYが空前の好景気に浮かれる1922年、作家になる夢を諦めNYに出てきて証券会社で働き始めたニック・キャラウェイ(トビー・マグワイア)は、NY郊外のお屋敷街にひっそりと立つ小さな家を借りて暮らす中、隣人で大邸宅に住むジェイ・ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)なる謎の人物に興味を持つ。ギャツビーの屋敷の目の前の湾を挟んで対岸に立つこちらも大邸宅にはアメリカ屈指の大富豪の家柄のトム・ブキャナン(ジョエル・エジャトン)が美しい妻デイジー(キャリー・マリガン)と暮らしており、ニックはデイジーの従兄弟でもあった。そんなある日、ニックはギャツビーの屋敷のパーティに招待され、そこで初めてギャツビーと出会う。この時ニックはまだ知らなかったが、ギャツビーとデイジーはかつて相思相愛の仲で、デイジーがトムと結婚した後も、ギャツビーはずっとデイジーのことを愛し続けており…。
「華麗なるギャツビー」予告編