「輝く女性たち」:手まり職人のちひろコヴナツキさん

一針一針心を込めて作り続けたい

手まり職人
ちひろコヴナツキさん(56歳)
Chihiro Kownacki

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「母方の祖母が趣味で手まりを作っているのを見て育ち、私もいつか作ってみたいと思っていましたが、実際に始めたのは2012年からです。そのころ既にシドニーに住んでいましたので、いざ習いたくてもシドニーで手まり作りを教えている人もおらず、日本の手まり作り入門本を購入して完全独学でのスタートでした(笑)」

 オーストラリアでは数えるほどしか存在しない、日本の伝統工芸である手まり職人のちひろさん。自分で作るだけでなくバルメインの日本風旅館「豪寿庵(ごうじゅあん)」で定期的にワークショップも開講、毎回多くのオージーやアジア系の受講者が参加し大好評だ。日本ではTV番組の製作会社に勤務し、1981年から15年続いた人気のクイズ番組「なるほど!ザ・ワールド」の製作に番組終了の96年まで10年携わり、最終的には同番組のプロデューサーにまで登りつめた。

「海外ロケも多く、忙しい時は週100時間労働なんてこともありましたし、好きじゃないとできない仕事でした。靴下を買いに行く時間がなくて通販でオーダーした時、ふと『靴下も買いに行けない生活はいかん』と(笑)。10年勤め上げ、番組終了がある意味いいきっかけになって退社し、97年に来豪しました」

 シドニーで通っていた語学学校で職を得、永住権も取得、現在はクロウズ・ネストにもあるオーガニック・スーパー「ユニーク・ホールフード」のライカート店で働きながら手まりを作っている。

「最初は祖母のように趣味で作っていただけでしたが、2年ほど経ったころ、豪寿庵のオーナーのリンダさんが豪寿庵のFacebookに手まりの写真をアップして『誰か(手まりを)作れる人知りませんか?』と呼びかけられていたのを見てリンダさんに連絡を取りました。でも人に教えたことはありませんでしたし、1回2時間完結のワークショップで一つの作品を完成させるためにはどうしたらいいかなどの難題もあり、半年かけて準備し、2014年に最初のワークショップを開講しました」(※ワークショップでは柄によっては半面だけ完成させ、残りは全く同じ模様を受講者が家で作業できるようになっている)

2ちひろさんが作った手まりの数々

 ワークショップで習うのは中型の手まりだが、大型のものからキー・ホルダーなどに付けて楽しむ小型のものまで販売も行い、結婚式の引き出物にと出席者の人数分の小型の手まりのオーダーに応じたこともある。小型でも作るのに当然それなりの時間を要するが、納期までに余裕を持ってこなせる数の場合のみオーダーを受け、今後も量産する気はないという。

「祖母は私が一時帰国するたびに『シドニーでお世話になった方にあげなさい』といって自作の手まりをいくつも持たせてくれたんですが、それでも祖母が亡くなった時、大きなダンボール箱何箱分?というくらい、まだまだ数多くの手まりがあり、あんな小さい手でよくこんなにたくさんの手まりを、と思うと感慨深かったです。祖母が何十年もかけて作り続けてきたものを、焦って作りたくないという気持ちが大きいです」

 手まりのイメージにぴったりのおっとりした雰囲気のちひろさんだが、学生時代は空手を、シドニーに来てからは合気道を習い、ポーランド出身の夫ピョートルさんと知り合ったのも合気道の道場だった。二人が結婚したのは2010年、ちひろさんにとっては40代半ばにしての初婚で、現在はピョートルさんと愛猫の三毛猫ポピーちゃんと仲良く暮らしている。

「手まりを作るたびに、手まりを最初に作り始めた人たち、さまざまな柄を創作して現代まで伝承してくれた先人たち、作り方を本にしてくれた先生方、私に手まりの素晴らしさを教えてくれた祖母…たくさんの人たちのおかげで私が今、手まりを作ることができるのだと感じます。色の組み合わせや柄のアレンジで私のオリジナリティが入ることもありますが、その土台には数百年前から受け継がれてきた伝承があります。先人たちへの感謝の気持ちを忘れずに、これからも一針一針、心を込めて手まりを作り続けたいと思います」

※手まりのオーダーやワークショップなどちひろさんへの問い合わせはインスタグラムのメッセージ機能から:instagram.com/temari_sydney

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