「さまざまな人の人生なり仕事なりにお邪魔して
ちょっとシェアできるのが最大の醍醐味」
平林純子さん(43歳)
SBSデジタル・プロデューサー(日本語プログラム)
Junko Hirabayashi
「大学を卒業して以来、仕事は日本でもオーストラリアでもずっとマスコミですが、私自身はもともとニュース原稿を書くことの方が好きで、しゃべるのは苦手なんですよ(笑)」
毎週火・木・土10pm-11pm放送の SBSラジオ日本語放送の中で火曜と木曜に設けられているインタヴュー・コーナーなどを担当し、インタヴュアーとしてさまざまな日本人をインタヴューしている純子さん。一方でラジオだけでなくSBSの日本語公式サイト上にアップされる日本語・英語ニュース記事の執筆も手がけている。日本のAP通信社、ライブドアのニュース・センター勤務を経て、30歳を前にして海外で働きたいという長年の夢を叶えるためシドニーで日本人の人材を募集していたNNAに採用され来豪、その後ロイター、日本経済新聞シドニー支局、そしてSBSラジオという報道業界一筋の輝かしいキャリアを誇るが、意外にも学生時代になりたかった職業はマスコミからは全くかけ離れた異色のものだった。
「中学の時は真剣に芸者さんになりたかったんです(笑)。親には当然反対され、『頼むから高校には行ってくれ。高校生活が合わなかったら芸者になる道を考えてもいい』とのことでとりあえず高校に進学したら高校生活が楽しくて、芸者になる夢はいったん保留に。高校卒業後、大学に入ったら今度は国連で働きたいという夢を持つようになり、国連と芸者の間で迷走した高校大学時代でした(笑)。国連には大学院でマスター(修士)を取得しないと入れないので、大学院に入るお金を貯めようと思って就職した最初の会社(AP通信社)でニュース原稿を書くことの楽しさを知り、今に至る次第です」
アナウンサーになるための正規の学校に通ったりしたわけではないが、4年ほど前からラジオの仕事をカジュアル・スタッフとして始め、現在1歳半になる子供の妊娠・出産も経験し、昨年末からほぼフルタイム雇用となった。
「私は出産後、半年で職場復帰したんですが、SBSのありがたい点は同じ社屋内にデイ・ケア・センターがあることで、子供の送り迎えに時間を取られることなく、仕事の休み時間に授乳に行ったりもできました(笑)。アナウンサー養成学校を出ているわけではないので仕事は手探りで、いいなと思ったアナウンサーの真似をしたりして日々勉強です。シドニーには意外と元プロのアナウンサーだったり現在プロの俳優だったりする日本人の方が少なくないので、収録や生放送は毎回気が引き締まります」
ラジオ・インタヴュアーになる以前はずっとニュース記事を書いていたため、いざラジオでインタヴューを行うようになって上司に注意を受けた点にハッとさせられたことも。
「文字によるニュース原稿は事実を簡潔に分かりやすく伝えることが最も重要で、その癖が付いていたんでしょうね。とある方をインタヴューした際、自分では必要な情報を聞き出せて満足だったんですが、その収録を聞いた上司から『いいインタヴューは、その人の人間性なり感情なりが出ているもの。こちらの質問に相手が答えるだけではリスナーにその人の人となりが伝わらない』と言われ、なるほど!と思いました」
結局、芸者になる夢は叶わなかったが、趣味で日舞を習うなど、仕事と家庭、そして自分自身の余暇も含め毎日を生き生きと過ごしている純子さん。
「やりたいことがたくさんあって、夫は私のことを『泳ぐのをやめると死んでしまうマグロと同じ』と例えています(笑)。インタヴューは、さまざまな人たちの人生なり仕事なりにお邪魔してちょっとシェアできるのが最大の醍醐味です。知らない世界を知れたり、普段の生活では会えないような人に出会えたり。SBS日本語ラジオは放送から1週間は番組全体を公式サイトからも聴いていただけますし、インタヴューなどのコーナーはその部分だけかなり以前のものも聴けるようになっていますので、オンタイムで聴けない人もぜひ公式サイトから過去の放送を聴いてみてください!」
SBSラジオ日本語放送公式サイト:sbs.com.au/Japanese
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