「輝く女性たち」:おーちゃん

結果を焦らずでも諦めずに自分を信じてあげたい」

おーちゃん(49歳)
Ochan

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「自分がやる仕事の“職種”についてのこだわりって一切ないかな。最初はNHKの美術の仕事で、その後シドニーに7年住んで東京に戻り、今度は沖縄へ移住して数年、そしてまたシドニーに戻って今年で6年、どの都市でもいろんな仕事をやってきたよ。今は近所の小学校の交通指導員の仕事で朝夕の登下校の時間帯に子供たちが安全に道路を渡れるよう、行き来する車を制御したり、子供たちに『おはよう』『また明日ね』って声をかけたりして。空いている時間はMacのデザイン・ソフトの使い方や動画編集なんかを教えたり」

 楽しく愉快なジャパラリア誌上人気連載エッセイでお馴染み、ジャパラリアの“顔”と言っても過言ではないおーちゃん。これまでやってきた“いろんな仕事”の中には実はジャパラリア専属デザイナーとしての数年間も含まれ、記者とも長い付き合いになるため、です・ます調ではなくいつも記者と話す口調で取材に応えてくれた。広島出身で、地元の高校卒業後、上京、そこでたまたま「NHK紅白歌合戦」の、本人いわく「ADのADみたいなアシスタント業務(笑)」のアルバイトをした。

「ADさんの雑用全般のほか、紅白出場歌手の当日の舞台での立ち位置を事前に調整して決める作業が3日くらいあり、それには歌手本人はまだ参加しないから、それぞれの歌手の名前を紙に大きく書いて胸の前に掲げて持ち、その立ち位置に立つのが私の仕事。カメラさんやプロデューサーに歌手の名前が分かりさえすればいいんだけど、どうせだったら読みやすく書こうと意識していたら、プロデューサーに『おーちゃん、字がうまいね。美術の才能もありそうだから、そっちの道に行ったらいいのに』って言われて、今考えたら単なるお世辞だったんだろうけど、その時初めてTVの世界には美術の仕事っていうのがあるんだ!と知り、美術部のアルバイトから第2の人生がスタート」

 とっかかりはラッキーだったかもしれないが、みっちり10年、NHKのさまざまな番組の製作に携わり、徹夜した夜も数知れず。

「NHKで私がやったのはスペイン語や英語、外国人のための日本語講座といった語学番組がメインで、ほとんどロケがなかったのが救いだけど、忙しい時は死ぬほど忙しかった(笑)。それと、ブラウン管を通して日本全国の人に結果が見えちゃう仕事だから厳しい世界でもあるし。NHKでは二十歳そこそこの小娘だった自分を育ててもらえたという感謝しかない。言葉遣いや礼儀作法、人との接し方なんかもNHKで学べたし、何より当然のように現場は全員プロ! 才能ある大勢の人と仕事できたことは自分の財産」

 そんなおーちゃんの現在の仕事は前述の通り交通指導員。

「え、なんで交通指導員かって? 昔からすごい憧れてて(笑)。以前キャメレイの小学校の交通指導員にその道30年くらいのものすごく怖いオージーの名物おばさんがいて、怖いといっても子供たちに対してじゃなく車に対してで、例えば子供が無事横断して、その場で停まっていた車が動くのが一瞬でも早かったら『まだよ!』ってすごい形相で睨まれる。私も彼女が交通指導してる時に車で通りかかったことがあったんだけど、その話を聞いてたから毎回ヒヤヒヤした(笑)。そんな彼女がついに引退する日がきた時、彼女の交通指導の下に登下校していたかつての子供たちで大人になった人たちや地元の大勢の人から大量の花束が贈られたって話を聞いて、子供たちの安全を守る素敵な仕事だなあって。怖いと評判の彼女も、きっと子供たちには優しいおばさんだったんだろうなと思うし」

 NHKを辞め29歳のギリホリで来豪し、その後も沖縄など各地で暮らしたおーちゃんだが一番しっくりくるのはシドニーだと即答する。

「シドニーに限らずオーストラリアでは、自分をそれ以上にもそれ以下にも見せる必要がなくありのままの自分でいられる。なんて素敵な国なんだ!って。人生の目的とか夢って人それぞれあると思うけど、私は自分が90歳で死ぬとして、89歳で、いや、死ぬ1日前までにそれが叶えばいいと思ってる。結果を焦らず、でも諦めずに自分を信じてあげたい」

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