※2023年5月6日更新
「クライ・イン・ザ・ダーク」
Evil Angels(※オーストラリアとニュー・ジーランド以外の英米などでのタイトルは「A Cry in the Dark」)
(オーストラリア1988年公開、日本ヴィデオ・ソフト化/120分/M/実話に基づいたドラマ)
監督:フレッド・スケピシ
出演:メリル・ストリープ/サム・ニール
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オーストラリア北部準州(ノーザン・テリトリー)エアーズ・ロック(ウルル)のキャンプ場にクイーンズランド州から3人の子供を伴いホリデイに来ていたチェンバレン夫妻の末っ子で生後9週間の娘アザリアが、現地で失踪するという1980年に実際に起こった“アザリア・チェンバレン事件”を追ったオージー作家ジョン・ブライソンが85年に発表した同名ノンフィクション本(「Evil Angels」)を基に、本作以前に「プレンティ」(85)や「愛しのロクサーヌ(Roxanne)」(87)などで既にハリウッドでもヒット作を放っていた、そして本作の後も「ロシア・ハウス」(90)、「ミスター・ベースボール」(92)、「星に想いを(I.Q.)」(94)など日本でもヒットした作品で知られるヴェテラン・オージー監督フレッド・スケピシ(「台風の目」)が、ともに「プレンティ」で組んだメリル・ストリープとサム・ニール(「ジュラシック・パーク」「オーメン/最後の闘争<Omen III: The Final Conflict>」※ほか彼が出演したオージー映画一覧はこの画面一番下に掲載!)の2人を再度、主人公のリンディとマイケルのチェンバレン夫妻役で起用して映画化したオーストラリアのシリアス・ドラマ。エアーズ・ロックでのシーンは実際に現地で、ほかは北部準州ダーウィン、アリス・スプリングス、クイーンズランド州マウント・アイザ、ニュー・サウス・ウェールズ州シドニー、グリーブ、ヴィクトリア州メルボルンなど州をまたにかけて大規模な撮影が行われた。同年度オーストラリア映画協会(AFI)賞(現オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞)では主要8部門にノミネイトされ、作品、監督、主演男優(ニール)、主演女優(ストリープ)、脚色賞の5部門を受賞(受賞を逸したのは音楽、音響、編集賞)、米オスカーでも当時既に2度のオスカーに輝いていたストリープが本作から唯一の候補を受け彼女にとって6回目の主演女優賞にノミネイトされ(助演女優賞を含むと8度目)、オスカーは受賞できなかったがカンヌ映画祭では最優秀作品賞に当たるパルム・ドールと主演女優賞の2部門で候補となりストリープが見事受賞した。
メリル・ストリープとサム・ニールが実在のチェンバレン夫妻役で共演
とまあ華々しい受賞・候補歴を持つ作品ではあり、なんといってもオスカー女優メリル・ストリープをハリウッドから招いて撮影されたオーストラリア映画という意味でも貴重な存在ではあるものの(※オスカー受賞歴を持つ海外のスターが脇役ではなく主役で出演したオーストラリア映画は本作が初で、その後も、ともに2015年公開のケイト・ウィンスレット主演の「リベンジャー 復讐のドレス」とシャーリーズ・セロンがヒロインを演じた「マッドマックス 怒りのデス・ロード<Mad Max: Fury Road>」のみ)、興収の点では完全なる失敗作に数えられ1,500万ドルの製作費の半分も回収できず、また、ストリープが挑んだオージー・イングリッシュが本作を観たオージーたちの間ではさんざんに酷評され、いまだに語り草になって笑われるほど。ストリープといえば“アクセントの女王”という異名を誇るが、さすがの彼女もオージー・イングリッシュを操ることはできなかったようだ。そして、これはアクセントがどうこうという意味からではないが、本作の中でストリープが「ディンゴが私の赤ちゃんをさらっていったわ!(The dingo took my baby!)」とヒステリックに叫ぶシーンのそのセリフはアニメ「ザ・シンプソンズ」を筆頭に数多くのアメリカの有名TVドラマでパロディとして使われるようになったから、娘が自分の目の前でディンゴにさらわれて取り乱す母親という真面目なシーンを大真面目に演じただけのストリープにとってみれば踏んだり蹴ったりだっただろう。
さらに、実際のリンディ・チェンバレンに限りなく近付けようとしたストリープの女優魂はアクセントだけでなく外見の点でもいかんなく発揮されたが、マッシュルームかヘルメットかといったシルエットの黒髪はカツラであることがバレバレで違和感ありまくり。今に残るリンディ本人の当時の写真では当然だが髪型はもっと自然に見えるし、そもそも顔立ちは似ても似つかないのだから、“形から入る”にしても、ならばもっとうまく入れなかったものかとこちらも失笑ものだ。ファッションに関しても、例えばエアーズ・ロックでアザリア失踪前に母娘2人で最後に撮られた花柄のワンピースにスニーカーとソックス姿というダサさ満開の実際のリンディの写真が残っていて、それを忠実に再現したシーンがあるが(※下に掲載の写真)、センスゼロのそのコーディネイトに目が釘付けになり、そもそも“再現ドラマ”ではないのだからそこに観客の目を向けさせてどうする?と苦言を呈したくもなる。本作以前に「プレンティ」で一緒に仕事をしたことがあるとはいえ、スケピシ監督は本作でのストリープの起用に本当に満足だったのだろうか? サム・ニールと共演歴があるということなら別のオージー映画「わが青春の輝き」(79)でニールとぴったり息の合った演技を見せたオージー女優ジュディ・デイヴィスがいて、海外市場での成功を視野に入れた場合もデイヴィスは本作の4年前の「インドへの道(A Passage to India)」(84)でオスカー主演女優賞候補になっていたから海外での知名度も申し分なく、わざわざアメリカ人のストリープでなくともデイヴィスなら完璧かつ自然なオージー・イングリッシュでリンディ役をこなせただろう。ちなみに実際のチェンバレン夫妻はどちらもニュー・ジーランド(NZ)出身で、本作では自身もNZ出身のニールはNZアクセントでセリフをしゃべっている。リンディも二十歳を過ぎてからオーストラリアに移住したのでコテコテのオージー・イングリッシュにこだわる必要は最初からなかったといえる。
実際に残る写真を忠実に再現したシーン
だがストーリー展開、そして俳優たちの演技力は全員文句なしで、同事件の顛末を知る人が観てもハラハラさせられながら最後まで一気に引っ張るスケシピ監督の演出力はさすが。連日のように事件のことが全豪で報道される中、世間の注目を大きく集め、眼前にシドニー・オペラ・ハウスを望むレストランでランチを楽しむグループなど、さまざまなオケイジョンでさまざまな人々が事件のことを熱心に議論するシーンが何パターンも出てきて、それだけオーストラリア全土の関心を集めた事件だったことが分かる。
娘アザリアはディンゴにさらわれたのであって自分たちは無実だと訴えるチェンバレン夫妻だったが…
そういったシーンの数々も含め延べ4,000人のエキストラが動員されたことは驚くには当たらないかもしれないが、セリフのある役柄だけで350人もの俳優が出演している事実は巨費を投じた大河ドラマなどではない一本の映画には珍しい。というのもセリフのある役のことを英語圏でもそのまま“スピーキング・ロール(speaking role)“といい、日本と違って俳優組合の力が強い豪米などの映画界ではわずか一言だけでもエキストラよりギャラが高くなるのでその分、製作費もかさむからだ。それら350人、ほとんどがエキストラに毛が生えたような役柄ばかりの中、ストリープとニール以外ではチャールズ‘バッド’ティングウェル(「ザ・ウォグ・ボーイ」「ザ・キャッスル」「英雄モラント/傷だらけの戦士」)が被告人となったチェンバレン夫妻、特に身重で裁判に望むことになるリンディを気遣う裁判長役で、トニー・マーティン(「キャンディ」「バッド・コップ、バッド・コップ」)が刑事役で、本作公開時には「マッドマックス」シリーズのジョージ・ミラー監督夫人だったサンディ・ゴア(「オーストラリア」「ブライズ・オブ・クライスト」)が法廷でアザリアのベビー服に付着していた血痕について証言する法医学生物学者役で、ルイス・フィッツ・ジェラルド(「デッド・ハート」「英雄モラント/傷だらけの戦士」)が弁護団の一人である弁護士役で、ジョン・ハワード(「ジャパニーズ・ストーリー」「月に願いを」「ブッシュ・クリスマス」)がリポーター役で登場し、それぞれが印象に残る演技を見せている。それらキャラクターと比べるとあまり印象には残らないが、こちらも実生活でその後ヒュー・ジャックマンと結婚したデボラ・リー・ファーネスが女性週刊誌のリポーター役に扮しているほか、バズ・ラーマン監督の「ダンシング・ヒーロー」(92)で主人公の母親役を演じたパット・トムソン、そして、どちらも俳優であると同時に人気のオージー・コメディアンとしても知られるグレン・ロビンス(「キャス&キムデレラ」「ランタナ」)とキム・ギンゲル(「マクベス ザ・ギャングスター」「ザ・ウォグ・ボーイ」)も顔を出している。
マイケル・チェンバレンがキリスト教系宗教組織の中でも特異な存在と例えられることもあるセヴンスデイ・アドヴェンティスト教会の牧師だった事実から、同教会に馴染みがない世間の人々に奇異な目で見られ、アザリアは生贄として捧げられたというあらぬ噂も一つや二つではなくいくつも大いに尾ひれが付いて広まったこと、リンディが報道陣を前にした際に表情が見えづらい大きなサングラス姿で不遜とも受け取れるような受け答えをしたことや、娘が失踪したというのに報道陣の前で爆笑したリンディの写真が大きく掲載されるなどしたためリンディは世間の反感を買ってしまい、最初から一貫してディンゴが娘を連れ去ったというリンディの主張とは裏腹に、実はリンディが犯人なのではという説が有力になっていく。だが本作を観ればよく分かるはずだ。ほかのグループと一緒にいたあの状況でリンディが娘を殺害して遺体をどこかに隠し、何食わぬ顔をしてまた戻ってくるには時間がなさすぎるし物理的に不可能であることが(※アザリア失踪当日の正確な時系列については下記のSTORYでも説明)。当然、物的証拠もない。何の罪もない一個人を追い込んで犯罪者へと仕立て上げていく集団心理の恐ろしさとともに、オーストラリア史上に残る恥ずべき冤罪事件を知る上で、ぜひ観ておきたい映画だ(※2023年現在、日本語字幕版は出回っておらず、英語版を検索する際には本国オーストラリアとNZでの原題「Evil Angels」よりも英米などその他の英語圏でのタイトル「A Cry in the Dark」の方が一般的)。
【シーンに見るオージー・ライフスタイル】エアーズ・ロックのキャンプ場でマイケル(サム・ニール)が現地で知り合った家族と一緒にバーベキューをするシーンで、マイケルが焼いていたソーセージをその一家の主である男性にすすめるが、男性は一口食べてすぐ吐き出し「何だこりゃ!?」と叫ぶとマイケルがヴェジタリアン・ソーセージだと答える。1980年代当時からヴェジタリアン人口がある程度多かった証拠ともいえるが、オーストラリアではどのスーパーでもヴェジタリアン用のソーセージや同バーガー・パティなどの売り場が充実している。豆腐も人気で木綿・絹ごしのほか日本ではあまり一般的ではない堅豆腐や、堅豆腐をタレに漬け込んで家で焼くだけの市販品も豊富。
STORY
セヴンスデイ・アドヴェンティスト教会の牧師マイケル・チェンバレン(サム・ニール)と妻のリンディ(メリル・ストリープ)は1980年、2人の息子と末っ子で生後9週間の娘アザリアを伴いクイーンズランド州の自宅から北部準州エアーズ・ロックへキャンプ旅行に出かける。現地で知り合ったキャンプ仲間の家族と夜、これからバーベキューという際、リンディはそこから目と鼻の先のテントへアザリアを寝かしつけて戻ってくるが、泣き声のようなものが聞こえたため再びテントへ戻ると1匹のディンゴがテントから逃げていくのが見え、中で寝ていたはずのアザリアは姿を消していた。すぐに大掛かりな捜索が開始されたがアザリアは発見されず、数日後、アザリアが失踪した際に着ていたベビー服だけが血痕が付着した状態で見つかった。連日のように加熱する報道の中、遺体がないまま開かれた死因審問では唯一の目撃者であるリンディの主張通り「アザリアはディンゴにさらわれた」と結論付けられたが、メディアも世間一般もチェンバレン夫妻に疑いの目を向け、審問のやり直しが命じられ…。
●サム・ニール出演のその他のオージー映画(TVドラマ含む):「パーム・ビーチ」「ハウス・オブ・ボンド」「リトル・フィッシュ」「マイ・マザー・フランク」「デッド・カーム/戦慄の航海」「クライ・イン・ザ・ダーク」「わが青春の輝き」
「クライ・イン・ザ・ダーク」予告編