「失踪したミランダは1900年当時から今も死ぬことなく
生き続けている、私はそう思います」
日本初訳! 小説「ピクニック・アット・ハンギングロック」
特別インタヴュー:井上里さん(翻訳家)
Sato Inoue
オーストラリア映画界が世界に誇る不朽の名作映画「ピクニックatハンギングロック」(75)の原作で、こちらも1967年のオーストラリアでの初版以来、格調高い文芸作品として愛され続けているオーストラリア人女性作家ジョーン・リンジーによる同名小説が、初版から50年以上の歳月を経てついに日本初訳、昨年12月、邦訳本「ピクニック・アット・ハンギングロック」が東京創元社・創元推理文庫より出版され、日本全国の書店で絶賛発売中です(※海外からもAmazon.co.jpなどで入手可能)。翻訳を手がけた東京在住の翻訳家・井上里さんに日本からの電話インタヴューに応えてもらいました。
「出版社に企画持ち込みの本を探す際に、イギリスだったりアメリカだったりの出版物だと日本での版権が既に取られていることが多いんです。そんなわけで、最初は不純な動機だったんですが5年くらい前からオーストラリアの本に注目するようになったら『宝の山だ!』ということに気づき(笑)。『ピクニック・アット・ハンギングロック』はそれ以前に読んでいた小説でしたが、とある映画ファンの方から原作を日本語で読みたいというお便りをいただき、東京創元社の編集の方に企画を持ち込んだら通ったというのが、邦訳本出版が実現したいきさつです」
電話の向こうの井上さんは、穏やかかつ優しい人柄が話し方や声にも表れている女性でした。ピーター・ウィアー監督の出世作でもある映画版「ピクニックatハンギングロック」はオーストラリアに遅れること11年後の1986年には日本でも劇場公開され、その後、DVD化されてもおり、日本でもカルト的な人気を誇るので、これまで一度も原作の邦訳本が出版されなかったのが不思議でもあります。いずれにしても井上さんの美しい日本語によって、50年以上前に出版された小説が、古臭さを一切感じさせることなく現代日本で日の目を見るに至りました。
「本作の企画を持ち込んでOK出ましたと言われてから締め切りまで結構時間がなく、1日10ペイジずつくらい訳していき、1カ月弱で最初の訳が完成しました。しんどかったですが止まったら終わりだと思い、頑張って仕上げました(笑)」
前述の通りオーストラリア人作家の作品に注目するようになってオーストラリア文学を翻訳するのは本作で5冊目の井上さんですが、なんとオーストラリアへは一度も来たことがないというから驚きです。
「ずーっと行きたいと思っているんですけど、まだ機会がないんです。一番びっくりしたのはオーストラリアでは南に行くほど寒いということ(笑)。また、区画を表す“1ブロック”の土地勘が我々日本人にはないため、自転車で行ける距離なのか馬車で行ける距離なのかが分からない。そのあたりの感覚をつかむのに本作の物語の舞台であるハンギング・ロック周辺をGoogleマップで検索したりしながら訳し続けました」
テンペラ画家の豊永侑希さんが表紙イラストを手がけた邦訳本「ピクニック・アット・ハンギングロック」(原作:ジョーン・リンジー/翻訳:井上里/創元推理文庫/¥1,000+税)
「ピクニック・アット・ハンギングロック」は1900年2月14日の聖ヴァレンタインデイに、ヴィクトリア州郊外にある全寮制の名門女学院の生徒たちが女性教師2人に引率され、地元のハンギング・ロックへピクニックに出かけ、そこで生徒3人と教師1人が神隠しに遭ったかのように忽然と姿を消してしまうというミステリー小説です。映画版では失踪する少女のひとりであるブロンドのミランダの美貌にもっぱらフォーカスされましたが、原作ではミランダの友人であるアーマ(失踪後に唯一発見される少女)や、フランス語教師の美しい容姿や際立ったファッション・センスについてもリンジーは字数を割いて描写しています。ですが翻訳した井上さん自身が一番好きなキャラクターはと聞くと、即座に「アルバートです」と意外な答えが返ってきました。アルバートは女学院の近隣に滞在する英国人貴族の屋敷のお抱え御者です。
「お金持ちの登場人物が多い作品で、イギリス人たちは気取っている中、アルバートはそういうことには無頓着。マイケル(アルバートが仕える屋敷の主夫妻の甥でこちらもイギリス人貴族)が、失踪した少女たちを自分で探すと言い出すと、『失踪事件のことなんて早く忘れろよ』と言いながらも『しょうがないなあ』と手伝い、一番活躍する。こういう登場人物が出てくるお話って私は馴染みがなかったんです。耽美的ともいわれる本作の中でアルバートのようなキャラクターは個性的だなあと思い」
原作を基に1975年にピーター・ウィアー監督が映画化(左からアーマ、ミランダ、マリオン、イーディス役を演じた女優たち/※過去にジャパラリアに掲載した映画版の紹介記事はこちら!)
本書では通常、“見る”と漢字で書くところを井上さんはすべて“みる”とひらがなで統一、また、“サラ”もしくは“セイラ”というカタカナ表記が日本では一般的な人名を井上さんは“セアラ”としました。
「今回はひらがなにしたくない漢字がたくさんあって目が疲れてしまう気がしたので、繰り返し使う漢字のほうをひらがなにしました。セアラに関しては、もともとの発音になるべく近づけたいという思いがあったので、何種類かネイティヴの発音を聞いてこの表記に落ち着きました」
同様に、女学院の生徒はいずれも上流階級出身の少女たちばかりですが、自分のことを日本語訳でおしとやかに“わたし”と呼ぶのはミランダとマリオン(失踪するもうひとりの少女)だけで、そのほかの生徒たちには学院内で最も資産家の令嬢アーマを含め“あたし”と呼ばせました。
「苦肉の策で、キャラづけをしないと読者に忘れられてしまうので(笑)、上級生のミランダとマリオンは“わたし”で、アーマも上級生なんですがわりと無邪気な性格なので下級生と同じように“あたし”にしてみました」
興味深いことに、ほとんどの登場人物がフル・ネイムで苗字もちゃんと分かっているのにミランダだけはファースト・ネイムしか書かれておらず、原作者リンジーは作中でもキャラクターのひとりに「ミランダのファミリー・ネイムは忘れてしまった」と言わせています。
「リンジーの旦那さんが結構封建的な人で、リンジーがスピリチュアルな話をするのを嫌がったといわれています。リンジー夫妻には子供がいなかったため、子供相手に自分の創造したおとぎ話をすることもできませんでした。この小説はリンジーが寝ている間に見た夢を書き出したとのことなのですが、リンジーのスピリチュアル性を描いた作品だと思われ、中でも思い入れのあるキャラクター、ミランダにはファミリー・ネイムを持たせて“家の中に閉じ込めたくなかった”のではないでしょうか。結果として失踪したミランダは、1900年当時から今も死ぬことなく生き続けている、私はそう思います」
宮崎県出身の井上さんの翻訳家としてのデビューは2011年、24歳の時で、現在32歳の若さながら本作が53冊目の翻訳作品です。早稲田大学第一文学部卒で英文学を専攻したとはいえ、それ以外は、なんと帰国子女でもなく、1年以上の長期留学経験もないというからそれも驚きです。
「母親が英語の先生だったこともあり、小さいころから自宅の居間で英語の勉強をさせられました(笑)。大学4年生の時に翻訳家になりたいと思い、私の中での理想はまずは出版社勤務から翻訳家に転身という道で、就職活動したものの出版社40社受けて全部落ちたんです(笑)。大学時代から通っていた翻訳講座の先生にお世話になり、少しずつちょっとした翻訳の仕事を回してもらい、24歳の時に初めて一冊丸ごとの翻訳依頼を受けました」
日本では、読書家であっても海外小説は登場人物の名前を覚えられないなどといって敬遠する人もいることについて、翻訳家としての思いを聞いてみました。
「訳してる側でも名前って忘れてしまうものですよ(笑)。海外小説は、海外旅行せずにその土地に触れられるというのが醍醐味ではないでしょうか。海外の雰囲気や世界観をざっくり楽しむつもりでもっと気軽に読んでいただければ嬉しいです」
オーストラリアには新旧合わせまだまだ邦訳されていない優れた作品がたくさんあるので、今後も積極的に翻訳していきたいという井上さん、それもあって、できればオーストラリアの大学院で学び翻訳のスキルにさらに磨きをかけたかったそうなのですが異常なまでの物価高のオーストラリア留学は予算の関係上、断念、その代わりに今年6月からイギリスの大学院へ1年半の留学を控えています。オーストラリアに留学中で将来翻訳や通訳の仕事を目指している読者にメッセージをとお願いすると、「私のような者が?」と笑いながらも次のように答えてくれました。
「海外小説などの書籍専門の翻訳は、なかなか最初のお仕事をスッとゲットするのは難しいし、いざデビューしても全然稼げないし(笑)、忍耐力が求められる世界ですけど、続けるうちに相性のいい本や編集さんと巡り合えたりするものです。言葉は生き物なので短期間で習得しようとせずゆっくり目指すといいんじゃないかなと思います。翻訳講座時代、翻訳のセンスが私なんかよりいいのに翻訳家になる夢を断念した人が何人かいて、もったいないと思います。諦めずに続けてほしいです。続けることも才能の一部かと」
「ピクニック・アット・ハンギングロック」Story(※邦訳本裏表紙より原文まま)
あの日は絶好のピクニック日和だった。アップルヤード学院の生徒たちは、馬車でハンギングロックの麓に向けて出発した。だが、楽しいはずのピクニックは暗転。巨礫(きょれき)を近くで見ようと足をのばした4人の少女と、教師ひとりが消えてしまったのだ。何があったのかもわからぬまま、事件を契機に、学院ではすべての歯車が狂いはじめる。カルト的人気を博した同名の映画原作、本邦初訳。