世界中にその名を馳せた実在の名馬(映画「ファー・ラップ」)

1

※2025年12月19日更新

ファーラップ

原題:Phar Lap

(オーストラリア1983年公開、日本未公開/1時間47分/G/史実に基づいたドラマ/DVD、Apple TVで観賞可能)

監督:サイモン・ウィンサー
出演:トム・バーリンソン/ロン・リーブマン/ジーア・カリディス

(※以下、文中の紫色の太字タイトルをクリックすると該当作品の本コーナーでの紹介記事へとジャンプします)

 1930年代初めの全豪競馬界において驚くべき連勝記録を達成し、海外にもその名を轟かせた実在の競走馬ファー・ラップと、ファー・ラップを取り巻くこちらも実在の人々の姿を描いた1983年公開の実話に基づくドラマ映画。後に世界中で大ヒットを記録する「フリー・ウィリー」(1993)や人気映画の3作目「クロコダイル・ダンディー in L.A.」(2001)などで知られるようになるオージー監督サイモン・ウィンサーの下、メルボルンとシドニーの2都市及びその近郊で撮影が行われ、全豪映画界において最も権威ある第25回オーストラリア映画協会(AFI)賞(現オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞)において作品、監督、主演男優(ファー・ラップの調教師役のマーティン・ヴォーン)、脚本、衣装デザイン賞など8部門にノミネイトされ、作曲、音響、編集賞の3部門受賞に輝いた。

親身にファー・ラップの世話をする厩務員トミー・ウッドコック(トム・バーリンソン)

オーストラリア最大の競馬レイス「メルボルン・カップ」(※この画面下の【映画に登場する実在のイヴェント】参照)を含み連勝続きのファー・ラップはオーストラリアで国民的な人気を得るようになり…(トム・バーリンソンと馬主夫人ビー役のジュディ・モリス)

 ファー・ラップは1930年代当時のオーストラリアで国民的人気と知名度を誇り、その名は日本でも海外の競馬史に精通しているマニアの間で現在に至るまで語り継がれているほどで、競走馬としての約4年の活動期間中、14連勝を筆頭に何度も優勝(オーストラリア国内におけるファー・ラップの14連勝記録は2011年にブラック・キャヴィアに破られるまで80年間不動だった)、依然として衰えを見せないキャリアの絶頂期にありながら最終的には何者かに毒殺されるというドラマティックな生涯の幕を閉じ、伝説の存在へと昇華した。毒殺説はファー・ラップの突然の死によって当時のマスコミがスキャンダラスに煽ったため、長らく噂の域を出ないものだろうと見る向きもあったが、2006年にオーストラリアで再調査が行われ、残されていたファー・ラップの毛髪から致死量を超える砒素が検出されるに至り、事故ではなく何者かによる故意の毒殺だったことが証明された。アメリカ遠征を前に1932年、メキシコのアグア・カリエンテ競馬場で開催された大会がファー・ラップが出場した最初で最後の海外遠征となり、史上最高の5万ドルという優勝賞金も大いに話題を集め、全世界が見守る中、ファー・ラップは見事優勝を果たした。毒殺事件がなかったとしてもファー・ラップは間違いなく後世に名を残す記録を打ち立てた名馬だが、最初で最後の海外遠征で優勝した直後の謎の死が、より一層、伝説化される重要な要素であったことも事実だろう。ちなみにファー・ラップは生涯で51大会に出場し37優勝、つまり70%以上の勝率だが、2位が3回、3位と4位がそれぞれ2回ずつという記録も足すと4位以内に入れなかったのは7大会のみ(14%未満)というまさしく驚異的な名馬だった。サラブレッドの平均寿命は25から30年といわれ、競走馬として活躍できる期間は5年ほどだがファー・ラップほどの記録を樹立した名馬ならきっと現役引退後も手厚く保護され平穏無事な生涯を送れたであろう。わずか5歳にして命を奪われたファー・ラップの突然の死に際し、関係者だけでなくオーストラリア中の人々がどれほどファー・ラップのことを不憫に思い嘆き悲しんだか想像に難くない。

調教師ハリー・テルフォード(マーティン・ヴォーン)とその妻ヴァイ(シリア・デ・バーグ)

トム・バーリンソン(左)と馬主デイヴ・デイヴィス(ロン・リーブマン:右

 とまあ事実関係を知らない人にとっては最初からネタバレになってしまうが、映画はファー・ラップがオーストラリアから遠く離れたアメリカの地で急死するところから始まり、その生涯を振り返るというストーリー展開になっている(※ただし本作がアメリカで公開された際には編集し直され、ファー・ラップの死のシーンは映画の最後に移動、オーストラリアほどにはファー・ラップの名が知られていないアメリカの観客に、より感動的に受け止められた)。ニュー・ジーランド生まれのファー・ラップを見込んで落札し、オーストラリアへ輸送した調教師ハリー・テルフォードとその妻ヴァイ、馬主であるアメリカ人実業家デイヴ・デイヴィスとその妻ビー、そして厩務員としてファー・ラップに最も身近に接し、親身になって世話をするトミー・ウッドコック青年と彼が恋に落ちる女性エマを主要キャラクターとして描かれる。

周囲から嘲笑されてもただひとりファー・ラップの可能性を信じる調教師ハリー・テルフォード役でAFI賞主演男優賞候補となったマーティン・ヴォーン

 調教師ハリー・テルフォード役にピーター・ウィアー監督の出世作「ピクニックatハンギングロック」(1975)で出番こそ少なかったものの女学院の生徒たちを乗せハンギング・ロックへと向かう幌馬車の御者役だったマーティン・ヴォーンが扮し、受賞には至らなかったがAFI賞主演男優賞候補となった。馬主デイヴ・デイヴィス役に設定と同じアメリカ人でサリー・フィールドが米アカデミー主演女優賞を受賞したハリウッド映画「ノーマ・レイ」(1979)で彼女の相手役を演じたロン・リーブマン、厩務員トミー・ウッドコック役は本作の前年「スノーリバー/輝く大地の果てに(The Man from Snowy River)」(1982)の主役で華々しく劇場映画デビューし、1986年の主演映画「ウインドライダー」ではハリウッド進出を果たす前のニコール・キッドマンが映画の中でのロマンスの相手役だったトム・バーリンソンが扮している。バーリンソンはオランダのポール・ヴァーホーヴェン監督のハリウッド進出作でルトガー・ハウアー主演の「グレート・ウォリアーズ/欲望の剣(Flesh + Blood)」(1985年)でも重要な役どころを演じた。女性キャラではトミーと恋に落ちるエマ役に2002年から2023年まで3作続いた大ヒット映画「マイ・ビッグ・ファット・ウェディング(My Big Fat Greek Wedding)」3作すべてに従姉妹ニッキー役で出演したジーア・カリディス(「ペンギンが教えてくれたこと」「ダンシングヒーロー」)、エマの母親役にパット・トムソン(「ダンシングヒーロー」「クライインダーク」)。ほか、ファー・ラップの獣医ビル・ニールセン役にロバート・グラッブ(「誓い」「わが青春の輝き」)。さらに、ファー・ラップを世話した実在の厩務員トミー・ウッドコック(1905〜1985)本人が馬のトレイナー役で顔を出したことも話題を集めた。

 ファー・ラップが栄光の階段を上り詰め、それによって周囲の人々も莫大な富を手にする。クライマックスに向け疾駆するファー・ラップの姿を前に、本作を観る人々も、まるで自分が馬主に、調教師に、厩務員になったかのようにレイスの行方を固唾を呑んで見守ることになるだろう。

【映画に登場する実在のイヴェント競馬大会「メルボルン・カップ」は1861年に始まり、現在オーストラリア国内でも最も大規模かつ知名度が高く、毎年11月の第1火曜日にメルボルンで開催される。この日はメルボルンが州都であるヴィクトリア州は祝日で、メルボルンの会場だけでなく全国的に、競馬観戦用に着飾った男女(特に女性は帽子のデザインを競い合う)が街中に溢れお祭り騒ぎとなり、その日は仕事というオフィス勤務の人たちも、午後に始まるレイスに合わせて業務終了となり、会社側がアルコール類を含むドリンクや軽食を用意して社員全員、社内のテレビモニターで観戦しながら歓談するという光景も珍しくない。

STORY
 1926年、ニュー・ジーランドで生まれたサラブレッドのオス馬は、1歳の時にオーストラリア人調教師ハリー・テルフォード(マーティン・ヴォーン)によって落札され、オーストラリアへと輸送される。だが、はるばる海を越えてやってきたその馬を見て馬主デイヴ・デイヴィス(ロン・リーブマン)は落胆、テルフォードの妻を含み周囲の反応も似たり寄ったりだったが、テルフォードだけはその馬の可能性を信じ、ファー・ラップと名付け、ファー・ラップが唯一よくなついた厩務員トミー・ウッドコック(トム・バーリンソン)に本格的な競走馬として育て上げるべく世話を任せる。1929年、ファー・ラップは競走馬としてデビュー、最初こそパッとしなかったものの、5戦目で初優勝を飾り、翌年以降は次々に優勝し…。

「ファー・ラップ」予告編

「オージー映画でカウチ・ポテト」トップに戻るoz_movie_top