
※2025年7月3日更新
「リンボー」
原題:Limbo
(オーストラリア2023年公開、日本未公開/108分/MA15+/ミステリー・ドラマ/DVD、Apple TV、Amazonプライム、YouTubeムービー、Googleプレイで観賞可能なほか、ABCの公式配信サイトABCアイヴューで無料配信!→ iview.abc.net.au/show/limbo/video/IP2105S001S00)
監督:アイヴァン・セン
出演:サイモン・ベイカー/ロブ・コリンズ/ナターシャ・ワンガニーン/ニコラス・ホープ
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アボリジナル系オージー、アイヴァン・セン監督の7作目の劇場映画として2023年に封切られたミステリー・ドラマで、同年度ベルリン国際映画祭に出品され作品賞に当たる金熊賞候補となり、ベルギーのブリュッセル国際映画祭では見事グラン・プリを受賞した話題のオーストラリア映画。本国でも全豪映画界において最も権威ある第13回オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー(AACTAの頭文字から“アークタ”と呼ばれる)賞(旧オーストラリア映画協会賞)において最優秀インディー作品賞、主演男優賞(サイモン・ベイカー)、助演男優賞(ロブ・コリンズ)の3部門にノミネイトされ、最優秀インディー作品賞を受賞した。主人公の刑事役に、ともにアメリカの連ドラで日本でもオンエアされた「ヒューマニスト 堕ちた弁護士(The Guardian)/旧邦題:堕ちた弁護士 -ニック・フォーリン-」(2001〜2004)と「メンタリスト/旧邦題:THE MENTALIST メンタリストの捜査ファイル」(2008〜2015)両シリーズに主演したことによりハリウッドでもスターダムを築き上げ、2017年公開のオーストラリア映画「ブレス あの波の向こうへ」では出演だけでなく初監督もこなしたオージー俳優サイモン・ベイカー(「ハイ・グラウンド」「シークレット・メンズ・ビジネス」)が扮し、ほぼ全編、南オーストラリア州内陸部のアウトバックで撮影された白黒映画。
実生活ではまだまだイケメンのサイモン・ベイカーが坊主頭で冴えない刑事トラヴィス役を好演

アイヴァン・セン監督は自ら脚本も手がけた2002年の劇場映画監督デビュー作「雲の下、ふたり(Beneath Clouds)」でいきなりオーストラリア映画協会(AFI)賞(現オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞)の監督賞と脚本賞を受賞、ヒューゴ・ウィーヴィング出演の「ミステリーロード/欲望の街」(2013)や、その続編でオスカー候補女優ジャッキー・ウィーヴァーとデイヴィッド・ウェナム出演の「ミステリーロード2/悪徳の街(Goldstone)」(2016)など、自身のルーツでもあるアボリジナルをテーマにした作品を得意とし、本作も例外ではない。
20年前に失踪したアボリジナル女性の兄弟チャーリー(ロブ・コリンズ:写真右)に話を聞く刑事トラヴィス

ストーリーはオパール採掘で名高い南オーストラリア州にある架空の田舎町リンボーで20年前に起こった若いアボリジナル女性の未解決失踪事件を再捜査するためにこの町にやってきた刑事トラヴィス(ベイカー)が、事件の関係者たちに会って話を聞いていくというのが大筋だ。人種差別もはなはだしいが失踪したのが白人ではなくアボリジナル女性だったことから当時、事件は真剣に捜査されることのないまま未解決として処理され、町のアボリジナルの人々は20年も前の未解決事件について今さら再捜査にやってきた、それも白人刑事トラヴィスに初めは非協力的だが、一方のトラヴィス自身、刑事でありながら薬物依存症で、今回の任務に対してもさして興味も熱意も持っていない。聞き込み相手のアボリジナルの人々が口を閉ざすのを前に自分の名刺を渡しながら、「俺は2〜3日しかこの町に滞在しないから、気が変わって話す気になるようだったら急ぐことだ」と投げやりに言う始末。町に持ってきた捜査資料が入った箱はガムテープで蓋が閉じられているが、一度も開けることなく、そして何の収穫もないまま2泊しただけで荷物をまとめて町を去ろうとする(乗ってきた車が町の不良少年たちによって壊されていたため修理工に直してもらうまでの数日、滞在日数を延ばし、やっと資料に目を通すありさま。だが事前に資料を見ていなければ現地で誰に会って話を聞くべきかも分からないはずなので、このあたりは単にトラヴィスの無気力さを強調するための“映画ならではの矛盾”と考えられる)。
失踪したシャーロットの姉妹エマ(ナターシャ・ワンガニーン)を訪ねるトラヴィス

そんなやる気のない刑事役の本作のサイモン・ベイカー、坊主頭でメガネをかけた、どこから見てもくたびれた冴えない中年男でしかない。顔にもかなりの数のシワが刻まれているし、かつて端正な甘いルックスで女性ファンの人気を博したベイカーも50代前半にしてすっかり老けたものだと思いきや、本作のベルリン映画祭出品により現地へ飛んで公の場に姿を見せた際のベイカーは、こちらもメガネ姿だが髪の毛も伸び、白いTシャツにモス・グリーンのジャケットを羽織ったおしゃれなイケメンで、ということは、本作での冴えないルックスはあくまで役作りにすぎなかったということになり、例えば還暦を過ぎても若々しいルックスのキャラクターを演じることに執念を燃やし続けているようにも見えるトム・クルーズにはこんな真似はできないはずだし、それはそれでトム・クルーズはプロ意識の高い俳優だといえるが、ベイカーはクルーズとはまた別の意味でプロに徹した役者魂を見せ、演技自体も批評家から絶賛された。
荒涼としたアウトバックが広がる町リンボー

本作のようにアウトバックが舞台のオージー・ミステリー映画に本作と同じサイモン・ベイカー主演の「ハイ・グラウンド」(2020)やニコール・キッドマン主演の「虹蛇と眠る女」(2015)、ブライアン・ブラウン主演の「デッド・ハート」(1996)などがあり、本作同様いずれもアボリジナルの登場人物が物語に絡んでいる。
トラヴィス以外の主要登場人物は少なく、失踪したアボリジナル女性シャーロットの兄弟姉妹でトラヴィスが会って話を聞くチャーリー(ロブ・コリンズ)とエマ(ナターシャ・ワンガニーン)、そしてシャーロットに限らずアボリジナル女性のことが好きだったと町でも評判の良くない、だが昨年他界してしまった白人男性リオンの兄弟ジョセフ(ニコラス・ホープ)の3人だけ。なので本作は誰が怪しいとか犯人探しを主軸にするには登場人物が少なすぎるためそこが見どころではなく、20年ぶりに事件が掘り返されることによって浮き彫りになる純然たる人間ドラマにこそある。そういう意味ではこちらもニコール・キッドマン演じる主人公の娘が失踪してしまう「虹蛇と眠る女」に通じるものがある。「虹蛇〜」も最終的に観ている側にとって犯人探しはどうでもよくなる人間ドラマだ。
トラヴィスがリンボーで宿泊する洞窟ホテル

最初から最後まで終始淡々としているのも本作の特徴で、トラヴィスが誰かの胸ぐらを掴んで自供を迫るシーンなど一切ないばかりか、やはりトラヴィスを含め誰ひとり声を荒げたりするシーンも一度も出てこない。なのでミステリーとはいえこの映画には観る者をあっと驚かせる演出はないことが最初から分かり、最後まで安心して観ていられる珍しいミステリー映画でもある。

カラーではなく白黒映画にしたのはさまざまな理由が考えられ、アングロサクソン系、つまり、いわゆる海外でも一般的にイメージされるオージー(=白人)を代表する存在であるトラヴィスと、肌の黒いアボリジナルの対比をより象徴的に見せたかったからでもあるだろうし、エマが働くカフェでトラヴィスがコーヒーをオーダーする際、「ホワイト(白)で」と言うのはミルク入りでという意味だが、トラヴィスにコーヒーを持ってきたエマがその場でブラック・コーヒーが入ったカップにミルクを注ぎ、「これで十分ホワイトかしら?」と言うセリフを入れたシーンも印象的(※ただしオーストラリアではホテルの朝食ビュッフェなどを除き田舎町でも本作のようにアメリカ映画でよく見られるアメリカン・ダイナーの定番であるドリップ式のコーヒーを出すカフェは皆無に近くほとんどがエスプレッソなので、カプチーノやラテなどオーダーの際にあらかじめミルク入りか否かの有無を指定するため出された後でミルクを足すことはまずない)。
タイトルの「リンボー」とはキリスト教において洗礼を受けずに死んだ子供たちの魂が行く場所とされ、トラヴィスが運転中の車内で聴いているのはラジオではなくなぜかキリスト教の教えを説いた録音音声だし、教会のシーンも出てくる。
また、捜査に訪れたトラヴィスが現地で宿泊するのはアウトバックならではの、岩山を削って造られた地下牢のような雰囲気の洞窟ホテルで、この手のホテルは今も南オーストラリア州に現存。削った岩肌がむき出しの客室内は見るからに夏場でもひんやりとしていそうで、キャンプ気分が楽しめてワクワクするという人と、こんなホテルには怖くてとても泊まれないという人に真っ二つに分かれるだろう。天国と地獄の間にあるという“辺獄(へんごく)”という意味に加え、“失われた/忘れ去られた”という意味も持つ本作のタイトル「リンボー」によくマッチした場面設定であると同時に、“失われた/忘れ去られた”ということならそれは20年前に失踪したシャーロットのことでもあり、シャーロットの失踪以来、時が止まってしまった関係者たち、そして、オパールがほとんど採り尽くされてさびれてしまったリンボーの町そのものを指し、脚本も自ら書き起こしたアイヴァン・セン監督の美的かつ文学的センスが光る発想といえるだろう。
【シーンに見るオージー・ライフスタイル】映画の中で刑事トラヴィスはかなりのヘヴィ・スモーカーとして描かれ、何度もタバコを吸うシーンがあるが、オーストラリアでは近年、タバコの値段が異常なほどに高騰し、本作の公開と同じ2023年当時、20本入りのタバコ1箱が安いものでも$30はする($30は日本円の感覚だと3,000円で、高いものだと$50!)。刑事の給料は決して悪くはないだろうが近年では喫煙者の誰もがタバコの値段を気にしてトラヴィスほどの極端なヘヴィ・スモーカーはほとんど見なくなったのが現状。
STORY
かつてオパール採掘で賑わったが今ではさびれたアウトバックの田舎町リンボーで地元の若いアボリジナル女性シャーロット・ヘイズが失踪するという20年前に起きた未解決事件を再捜査するために刑事トラヴィス・ハーリー(サイモン・ベイカー)がリンボーにやってくる。トラヴィスはホテルに滞在しながら失踪したシャーロットの兄弟姉妹であるチャーリー(ロブ・コリンズ)やエマ(ナターシャ・ワンガニーン)、さらにはアボリジナル女性全般のことが好きだったともっぱら評判の怪しい白人男性リオンを訪ねるが、リオンは昨年他界していることがリオンの兄弟ジョセフ(ニコラス・ホープ)の口から明らかになり、誰からも有力な情報は得られそうになく…。
※映画「リンボー」はABCの公式配信サイトABCアイヴューで無料配信!→ iview.abc.net.au/show/limbo/video/IP2105S001S00
「リンボー」予告編


