
※2025年9月8日更新
「泉のセイレーン」
原題:Sirens
(オーストラリア1994年、日本1996年公開/98分/MA15+/エロティック・コメディ/DVD、Netflix、YouTubeムービー、Googleプレイで観賞可能)
監督:ジョン・ダイガン
出演:ヒュー・グラント/タラ・フィッツジェラルド/サム・ニール/エル・マクファーソン/ポーシャ・デ・ロッシ
(※以下、文中の紫色の太字タイトルをクリックすると該当作品の本コーナーでの紹介記事へとジャンプします)
シドニーが州都であるニュー・サウス・ウェールズ州の風光明媚なブルー・マウンテンズに今もノーマン・リンゼイ美術博物館として現存する、世界的に高名な実在のオーストラリア人芸術家ノーマン・リンゼイ(1879〜1969)がアトリエ兼住居として妻子と暮らしていた屋敷を舞台にした1994年公開の豪英合作映画。リンゼイも主要キャラのひとりだがストーリー自体はフィクションで、リンゼイやアートについての予備知識など一切なしに楽しめる娯楽作品だ。シャーリーズ・セロン主演の「トリコロールに燃えて(Head in the Clouds)」(2004)やジョン・ボン・ジョヴィ主演の「妻の恋人、夫の愛人(The Leading Man)」(1996)などのオージー監督ジョン・ダイガン(「ニコール・キッドマンの恋愛天国」「君といた丘」)が監督だけでなく脚本も手がけ、米サンダンス映画祭にも出品され、全豪映画界において最も権威ある第36回オーストラリア映画協会(AFI)賞(現オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞)ではいずれも受賞を逸したが主演女優(タラ・フィッツジェラルド)、作曲、音響賞の3部門にノミネイトされた。ちなみに作曲賞候補になったイギリス人レイチェル・ポートマンは本作の2年後、グウィネス・パルトロウ主演版「Emma エマ」(1996)で女性として米オスカー史上初の作曲賞を受賞、以降も多数の映画音楽を手がけている。ブルー・マウンテンズのほか、オープニング・クレジットとともに登場する美術館のシーンはシドニーのニュー・サウス・ウェールズ州立美術館のナーラ・ヌラ館(旧館)で撮影された。
左からタラ・フィッツジェラルド、ノーマン・リンゼイ役のサム・ニール、ヒュー・グラント

映画は1930年代、当時既にその名を広く世に知られる芸術家だったノーマン・リンゼイが展覧会用に出品した、(こちらも実在の有名な)素描画が十字架に架けられた全裸のヴィーナス像であることから教会関係者らの顰蹙を買い、別の作品に差し替えるよう説得するため、英国からシドニーに来たばかりの若い牧師トニーが妻エステラを伴いリンゼイ邸を訪れ屋敷に滞在する数日間の出来事を描いている。トニーとエステラのイギリス人夫妻役に、英国から1987年の「モーリス」に出演し既に本国ではスター俳優だった、そして本作と同じ1994年の「フォー・ウェディング(Four Weddings and a Funeral)」の大ヒットにより世界的なトップ・スターとなるヒュー・グラントと、当時はまだ新進女優だったが後にアメリカの連ドラ「ゲーム・オブ・スローンズ」シーズン3〜5(2013〜2015)のセリース・フロレント(セリース・バラシオン)役で知られるようになるタラ・フィッツジェラルドを招き、リンゼイ役にはニュー・ジーランド出身の大御所サム・ニール(「ジュラシック・パーク」「オーメン/最後の闘争<Omen III: The Final Conflict>」※ほか彼が出演したオージー映画一覧はこの画面一番下に掲載!)が、そしてリンゼイが制作中の絵のヌード・モデルとして屋敷に同居する3人の女性キャラを、どちらも実生活でもスーパーモデルのエル・マクファーソンとケイト・フィッシャーの2人と、こちらはモデルではないが同性愛者であることを公言し、同じく同性愛者として有名な米国のテレビプレゼンター、エレン・デジェネレスと2008年に同性婚したことで名高いポーシャ・デ・ロッシという、いずれもオーストラリア出身の3人が扮している(デ・ロッシ演じるギディはモデルではなくメイドとしてリンゼイ邸に雇われているという設定で、服を脱がなくてもいいのならという条件で絵のモデルとしてもポーズを取っていたが後半では全裸に)。デ・ロッシは後に、日本でもヒットしたアメリカの連ドラ「アリー my Love(Ally McBeal)」のシーズン2〜5(1998〜2002)に主要キャラのひとりネル・ポーター役で出演し、大ブレイク。
左からポーシャ・デ・ロッシ、エル・マクファーソン、ケイト・フィッシャー

ほかには、リンゼイの妻ローズ役で別のオージー映画「女と女と井戸の中(The Well)」(1997)の主演や日本でもオンエアされた2013年から続くオーストラリアの連続ドラマ「ウェントワース女子刑務所(Wentworth)」シーズン2〜5とシーズン8に主要キャラのひとりとして登場する囚人ジョーン・ファーガソン役が有名なパメラ・レイブ(「ハーモニー<1996年版>」)が、そして近隣の村の若者2人組でどちらも労働者のルイスとトム役に、本作のジョン・ダイガン監督の別の映画「君といた丘」(1987)に準主役として出演しAFI賞助演男優賞を受賞したベン・メンデルソーン(「アニマル・キングダム」「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男<Darkest Hour>」※ほか彼が出演したオージー映画一覧はこの画面一番下に掲載!)とジョン・ポルソン(「人生は上々だ!」)、とこちらもオージー俳優たちが出演している(※本作と同じ1994年に公開された「人生は上々だ!」はハリウッド進出前のラッセル・クロウがゲイのキャラクターに挑んだ作品で、ポルソンはその相手役のゲイ青年を演じた)。また、ジョン・ダイガン監督自身もトニーとエステラが参列する教会のミサで説教する牧師役で登場。
リンゼイの妻ローズ役のパメラ・レイブ

近隣の村の若者役のベン・メンデルソーン(左)とジョン・ポルソン

最大の見どころは、モデルとして全盛期のエル・マクファーソンとケイト・フィッシャーが全裸で、それも惜しげもなくたっぷりとその肉体美を披露してくれている点にある。この2人だけでなくポーシャ・デ・ロッシも、そして実質的な本作のヒロインであるエステラ役のタラ・フィッツジェラルドも、はたまたリンゼイの妻であるローズ役のパメラ・レイブに至るまで、それはそれは見事な脱ぎっぷりである。女優陣の1930年代ファッションも素敵だが、“服を着ていないシーン”でも存分に楽しませてくれる。一方の男優陣では唯一、リンゼイ邸の雇われ人でやはりリンゼイの全裸男性モデルも務めるデヴリン役のマーク・ガーバーが、性器まではっきり映り込むシーンでギリシャ神話のような肉体美を披露する。
リンゼイ邸の雇われ人デヴリン役のマーク・ガーバー

物語は厳格な英国ブルジョワ社会から夫トニーとともにオーストラリアにやって来たエステラが、リンゼイの屋敷で奔放に振る舞う美しい女性モデルたちに初めは嫌悪感を抱きつつも次第に引かれていき、いつしか自身もエロティックな妄想をかき立てられ…というのが大筋だ。当時、ヌード・モデルは世間一般からは売春婦と同等と見なされており、ディナーの席で卓上に置かれた陶器の器に入ったチーズをナイフなどを使わず手で直接つまんで食べるシーラ(エル・マクファーソン)を軽蔑しきった目で見ていたエステラも、映画の後半では同じように手で食べるようなる。前述の通りヌード・シーンもふんだんで非常にエロティックでありながら、全編にあくまでも健全なムードが漂う。その理由は、特にマクファーソンとフィッシャーが全裸になったシーンでの彼女たちの“それなりに豊満な肉体”にあるかもしれない。もともとがそうなのか、それとも20世紀前半が舞台である本作のために多少体重を増やしたのか、スーパーモデルというのはもっと痩せているものかと思っていた人は、本作における2人のヌード・シーンに驚きながらも、これぞ女性の肉体美といった、まさしく理想的なヌード・モデル像に改めて魅了されることだろう。
ディナーの席で、チーズを食べた指をなめるシーラ(エル・マクファーソン)

生前のインタヴュー映像が今に残る実際のノーマン・リンゼイとはかなりイメージが異なるものの、あえて外見などを似せようとしなかった点が逆に好感度が高いサム・ニール、くだらないダジャレ(※後述)を言うトニー役のヒュー・グラント、そしてもちろん本作のヒロイン、エステラ役のタラ・フィッツジェラルドの3人は文句なしの安定した演技だし、彼らほどの見せ場はないとはいえパメラ・レイブもタバコが似合うクールなリンゼイ夫人ぶりだ。同時にジョン・ダイガン監督はどちらもノア・テイラー主演の「ニコール・キッドマンの恋愛天国」(1991)と「君といた丘」(1987)などの非常に優れた青春映画を監督したことでも知られ、演技経験が乏しい若い俳優の演技指導に長けているのだろう、本作でも本業はあくまでもモデルのエル・マクファーソンとケイト・フィッシャー、そして本作が芸能界デビュー作となったポーシャ・デ・ロッシがいずれもとても自然な演技を見せる。また、リンゼイ夫妻の2人の娘である姉妹を演じた子役の女の子2人もとても愛らしい。
左からタラ・フィッツジェラルド、ポーシャ・デ・ロッシ、ケイト・フィッシャー、エル・マクファーソン

コミカルな演技も見せるヒュー・グラント

冒頭で触れた通り撮影はほぼ全編、リンゼイが離婚の翌年に再婚した2度目の妻ローズと彼女との間にもうけた2人の娘たちと実際に住んでいたブルー・マウンテンズの邸宅で行われ、リアリティも満点である。ノーマン・リンゼイは芸術的な絵画だけでなく新聞の風刺画や漫画、さらには彫刻なども手がけた多才なアーティストで、屋敷の庭園に立つこちらもエロティックな美神の裸体姿の銅像も彼によるものだから、そのあたりも注意して見るとより楽しめるだろう。エロティック描写ばかりでなく、観光名所として名高いブルー・マウンテンズの有名な“スリー・シスターズ”と呼ばれる連なった3つの巨大な砂岩をはじめとした美しい風景や、コアラにカンガルー、ウォンバット、とオーストラリア固有の野生動物なども出てきて目を楽しませてくれる。
実際にノーマン・リンゼイが妻子と暮らしていた家で撮影

ブルー・マウンテンズの美しい風景描写も見どころ

オープニング・シーンはエステラがタイタニック号のような豪華客船でイギリスからオーストラリアへ向かっている船上のデッキにいる姿を白黒映像で見せ、その後もタイタニック風のおもちゃの船がリンゼイ邸の噴水の水辺に浮かんでいたり、ラスト・シーンでははっきり“タイタニック”と書かれた船の白黒写真が壁に飾られているのが出てくる。これら船の描写が何を意味するのかは映画の中では一切語られず、本作を観た映画ファンの間でさまざまな解釈が議論されているようだが、“海に浮かぶ船”が、後述の“水に浮かぶエステラ”と何か関係がありそうではある。オープニング・シーンでは夫のトニーと一緒ではなくひとりでデッキに立つエステラを、見知らぬ若い、それも服装からして明らかにファースト・クラスではなく2等・3等客室で旅をしているであろう雰囲気の男がいかにもナンパしたげなニヤけた目で見ているのにエステラが気づき、ツンとした表情で顔をそむける。そう、エステラは、女性はこうあるべきという確固たる信念を持っていたが、果たしてラスト・シーンでは…?
こちらも冒頭で触れた、トニーが別の作品に差し替えるように説得に来るリンゼイ作の実在の素描画で、実際に当時物議を醸した「十字架に架けられたヴィーナス」が描かれたのは1912年。つまり映画の設定である1930年代より20年ほど前の話なので、時系列が合わないことになる。タイタニックとの関連性という点では、タイタニック号が沈没したのも1912年なので、もしかして映画にタイタニックを彷彿させる描写を何度か出したのは、「時系列が合ってないことはちゃんと分かってますよ」というダイガン監督の遊び心だったのかもしれない。ちなみに映画の中でも語られるが「十字架に架けられたヴィーナス」のモデルはリンゼイの妻ローズで、ローズがリンゼイと知り合ったのも彼の作品のモデルとしてだった。
水に浮かぶオフィーリアを描いた、ラファエル前派の最高傑作として名高い英国の画家ミレー作の絵画のオマージュ的なシーンが出てくるのも興味深い。ノーマン・リンゼイはミレーよりかなり後の世代の芸術家であるが、おそらくダイガン監督は映画に幻想的な雰囲気を持たせるために、ミレー作の「オフィーリア」のアイディアを拝借したのではなかろうか。また、リンゼイ夫妻が自身の幼い子供たちに「金曜の真夜中には妖精たちが現れるよ」と言い、実際、その夜、屋敷の庭に妖精の衣装に身を包んだマクファーソンとフィッシャー、デ・ロッシの3人が暗闇の中、まるで宙に舞っているかのようにブランコやシーソーに揺られる姿を描いたシーンもとてもファンタジックだし、ここでは3人ともちゃんと服を着ているのにエロティックでもある。“エロティック・コメディ”というジャンルにくくられる映画だが、ブルー・マウンテンズの美しい大自然をバックに、とても神秘的な雰囲気を併せ持つ作品だ。映画のタイトルでもある“セイレーン”とはギリシャ神話に登場する海に現れる妖婦の名で(英語読みだと単数系サイレン、複数形サイレンズ)、泉はあっても海がないブルー・マウンテンズを舞台にしたことから前述の船のシーンを盛り込んだと受け取れないこともない。また、セイレーンは航行中の人を美しい歌声で惑わせ船を遭難させるという神話上のストーリーから、沈没船として最も名高いタイタニックを引き合いに出したのかもしれない。トニーとエステラ夫妻がリンゼイ邸に滞在中に上記3人の女性をモデルにリンゼイが取り組んでいる絵画のテーマがセイレーンで、中盤からはリンゼイの妻ローズも全裸でモデルたち3人に加わりポーズを取り、そうしていよいよ完成した絵に描き込まれていたのは…!? “セイレーンたち”という複数形を原題のタイトルにしたのは3人のモデルたちを指すだけではなく、最後になるほどとうなずける、隠れた秀作オージー映画としておすすめ。
ミレー作の絵画「オフィーリア」を彷彿とさせる、水に浮かぶエステラを描いた幻想的なシーン

【セリフにおける英語のヒント(その1)】シドニーから蒸気機関車でブルー・マウンテンズのスプリングウッド駅に到着したばかりのトニーとエステラがタクシーを呼んでもらおうと入った村のパブで、バーテンがエステラに別のドアを指差し「バーは男性限定だ。女性用のラウンジはそのドアの向こうだ(Gents only in the bar. Ladies’ lounge is through the door)」と言う。このようにかつてオーストラリアのパブでは男女別々の部屋で飲まなければならなかった。
【セリフにおける英語のヒント(その2)】リンゼイ邸に到着し、ゲスト用の寝室に案内されたトニーが分厚い本を手にトイレに行った後、その場にいたシーラがエステラに「彼はいつもダニーに聖書を持ってくの?(Does he always take the Bible with him to the dunny?)」と聞くセリフの“ダニー(dunny)”はトイレを意味するオージー・イングリッシュ。同じシーンでシーラが続けて「彼に(トイレでは)レッドバックスに気をつけるよう言ってあげればよかった(I should’ve warned him about the redbacks)」と言う“レッドバックス(redbacks)”はもともとはオーストラリアのみに生息していた毒グモで、その後、客船や貨物船に紛れ込むなどして日本を含む海外へも広まったセアカゴケグモ(背赤後家蜘蛛)の英語名レッドバックの複数形。
【セリフにおける英語のヒント(その3)】テラスで朝食を取っていたトニーがうるさくまとわりついてくるハエのことを「ホントにしつこいハエだな。たった今…1匹食べちゃったかもしれない。ハチミツにくっついてたかも。おかしな具合だな…お腹の中が(These flies are remarkably persistent. I just…ate one, I think. Came in on me honey. Made me feel funny…in me tummy)」と言うのは、“ハチミツ(honey:ハニー)”“おかしな(funny:ファニー)”“お腹(tummy:タミー)”の3語の語呂合わせによるダジャレであるが、その場にいたエステラもローズもニコリともしない、日本で言うところのくだらないオヤジギャクのようなもの。ちなみに“tummy”は赤ちゃん言葉である。また、“me”という言葉も3回出てくる中、1回目と3回目は“my”がより正しい言葉だがこちらもmeで語呂を合わせた英語ならではの表現のひとつである。
【シーンに見る当時のライフスタイル】映画の中でシーラが食べているのはイギリスのスティルトン・チーズで、通常は青カビを使ったブルー・タイプが世界三大ブルー・チーズの一つとして有名だが本作に出てくるホワイト・タイプもあり、シーラが食べているような陶器の器に入った状態のものが現在でもオーストラリアの高級デリなどで売られている。
STORY(※本作のストーリーについては上記本文に掲載!)
●サム・ニール出演のその他のオージー映画(テレビドラマ含む):「パーム・ビーチ」「ハウス・オブ・ボンド」「リトル・フィッシュ」「マイ・マザー・フランク」「泉のセイレーン」「ピアノ・レッスン」「デッド・カーム/戦慄の航海」「クライ・イン・ザ・ダーク」「わが青春の輝き」
●ベン・メンデルソーン出演のその他のオージー映画(テレビドラマ含む):「美しい絵の崩壊」「アニマル・キングダム」「オーストラリア」「サンプル・ピープル」「シークレット・メンズ・ビジネス」「エイミー」「ハーモニー(1996年版)」「泉のセイレーン」「君といた丘」
「泉のセイレーン」予告編


