「ワーホリ時代、何をしたいというのはなかったけど
あの経験が確実に今の自分に繋がっています」
フォト・プロデューサー
松野百合歌さん(38)
Yurika Matsuno
「今働いているのは電通の子会社で、私はCM撮影をアレンジしたり実際に撮影現場を仕切る仕事をしています。私の部門は動画はやらずスチールだけで、駅のポスターとか電車の車内広告、新聞・雑誌などの広告を担当しています」
イケメン・オージー・セレブ・シェフ、カーティス・ストーンが出演する日本のCM撮影の仕事のため12月に1年ぶりに日本から来豪した百合歌さん(1年前の来豪もCM撮影)。憧れる人も多い華やかな業界の第一線で働いているそんな百合歌さんも、かつてはワーキング・ホリデイ・メイカーとして1年間シドニーで暮らした経験があると聞けば、特に今現在オーストラリアでワーホリ生活を送っている人たちの励みになるのではないでしょうか。
「大学時代は地元名古屋が本社の洋楽雑誌『インロック』で編集のバイトをしました。当時からシドニーで生活してみたいという希望があったので就活はせず、卒業後も1年同じバイトを続けてお金を貯め、2003年に来豪しました。語学学校に入ったその日かその次の日に日豪プレス(シドニーで発行されている無料日本語新聞)が編集部員の募集をしてるよって聞いて応募し、シドニーに来て2週間くらいで働き始めていました(笑)」
百合歌さんは本誌記者が以前、日豪プレスで働いていたころの後輩でもあります。といっても一緒に働いたのはほんの1週間ほどで、ジャパラリアを起ち上げるために11年間勤めた日豪プレスに退社願を出した記者の後任として入ってきたのです。自分で執筆する原稿も含めそれなりの仕事量があり、全国的にメジャーな洋楽誌でバイトしていたとはいえ大学を出て1年程度のお嬢さんに記者がこなしていた仕事を全部引き継げるはずはないだろうと意地悪く思っていたものですが、百合歌さんはわずか1週間で記者の仕事をすべて完璧に引き継いでしまいました。百合歌さんが数カ月後に日豪プレスを退社すると同時に、既に創刊していたジャパラリアの仕事をぜひ手伝ってほしいと記者が申し出たのは当然のことでした。そうして1年間のワーホリ生活を終え、名古屋ではなく次は東京で生活したいという百合歌さんに、記者が持つ数少ない日本の芸能・出版界の人脈の中からさる方を紹介し、その方の紹介により百合歌さんは帰国後すぐに東京の編集プロダクションに就職しました。記者が「この子をぜひお願いします」と誰かに頼んだのは現在までのところ百合歌さんだけです。
「仕事では本当にご縁に恵まれて、その後、今の会社に入る前も転職してますが一度も就活らしいことをしたことなく、誰かに別の会社を紹介されて転職というのばかりで、ありがたい限りです」
輝かしいキャリアの中ではもちろん辛い経験も。
「編プロで3年働いた後、今度は広告用のストック・フォトの素材を撮る会社に転職したんですが、ものすごく忙しい会社で、深夜残業してもタクシー代も出ず、会社で寝て始発が動いてから帰宅し、シャワーを浴びて着替えてまた出社という生活で。寝る間もなかったそんな毎日が、東日本大震災によって一気に広告がゼロ。突然のギャップに精神的に心を壊しちゃったんでしょうね、ある日、会社で倒れて即休職。でもそのころの記憶がないんですよ。辛すぎて消し去ったのかも」
洋楽誌のバイトに始まり最初の数年間は出版編集畑で、今は広告畑。両者につながりはあるものの仕事内容はガラリと変わりました。
「編プロでは劇場映画のパンフレットや、洋画のノヴェライズ本の英語原本の版権を買って邦訳版を出版したりする仕事に携わりました。洋楽も洋画も大好きなんですが、自分の好きなことを仕事にしたことが必ずしも正解ではなかったと思うんです。映画を観るのも仕事の目が入って純粋に楽しめなくなって…。今は出版からは離れた仕事ですが、周りがトップのクリエイターとかタレントさんなどみんなプロフェッシェルだし、一本一本組むチームが違うのでダレることもなく毎回がフレッシュで楽しいです。今回一緒に仕事したカーティス・ストーンも、めっちゃいい人でした(笑)」
オーストラリアでのワーホリ経験はかけがえのないものであると同時に、現在の自分にとってとても大きな意味を持つといいます。
「ただ旅行で遊びに来ただけじゃなく、海外で仕事をしたことが自分の幅を広げてくれたと思っています。仕事上の英語でのやりとりも、今より英語がおぼつかなかったあの時できたんだから、今もできるでしょうと。今の若い人たちはやりたいことが何か分からないとか夢がないとかいわれますが、私だってワーホリ時代は海外で暮らしたいということ以外、では現地で何をしたいとかいうのはなかったですよ(笑)。ラウンドがしたいわけでもなかったし。でもあの経験が確実に今の自分に繋がっています。自分のやったことが次の自分に繋がる。そう実感させてくれたのがワーホリ経験です」
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