Colour No.12: White(最終話)

いつもの席で、今日はあなたに手紙を書いています。

あなたがさっき運んでくれたホットココアを飲みながら、ゆっくりと時間をかけて、想いを伝えようと思います。

私がこのカフェに通うようになって、どれくらいたつのでしょう。チェーン店のシステマティックな気楽さも嫌いじゃないけれど、ふたつとして同じ空間はない、このカフェの独特な安心感が私は大好きです。

 

マスターはほとんどあなたの名を呼ばないし、ネームバッジもつけていないし、そのうちマスターはあなたに店を任せて来なくなってしまったから、私はあなたのほんとうの名前を知りません。私にわかるのは、あなたがたぶん私より少し年下の、働き者の男性だということだけ。

でも、いいんです。私は、この店に初めて来たときから、あなたにこっそりと名前をつけていました。

 

 

雪の降る冬の日でした。

買い物帰りの私は、あまりの寒さに暖をとりたくて、目についたこのカフェに入ったのです。

店の中は泣きたいくらいにやさしいあたたかさで、入口のベンジャミンが居心地良さそうに葉を茂らせ、なんといっても無垢材の素朴なテーブルと椅子がとっても素敵でした。

私は窓際の隅の席に座り、ほっと一息つきました。かじかんだ手も、つめたくなったほっぺたも耳も解凍されて、身体がするするとほどけていくみたいでした。

 

隣のテーブルに、小さな男の子と、若いお父さんがいました。

私より少し先に入ったのでしょう、オーダーを終えて待っているところのようでした。

私はメニューを広げ、カフェオレにしようか、アールグレイにしようか、迷っていました。

そのとき、あなたが隣のテーブルに飲み物を運んできたのです。

 

「あっ、たっくんのココアだぁ」

男の子がうれしそうに歓声をあげました。メニューには「ホットチョコレート」と書かれていましたが、その男の子の「ココア」という響きはなんともかわいらしく、私は思わずそちらを見てしまいました。

あなたは先にお父さんにコーヒーを、そして「たっくん」の前にそっとホットチョコレートを置きました。

 

「お熱いので、お気を付け下さい」

 

たっくんに向けられた、その声とほほえみは、私の心を打ちぬきました。

目を離すことができませんでした。まだ幼稚園児であろうその男の子に、やけどをしないように気遣いながら「ひとりのお客様」として真摯に対応するあなたに。

子供だからといって「熱いから気をつけてね」ではないのです。お父さんに言ったわけでもないのです。

もちろん、マニュアルどおりにとおりいっぺんのことを言ったのでもありませんね。だって、ホットドリンクを運んだくらいで大人にはそんなことを言っていませんから。

 

ああ、ほんものだ。そう思いました。あなたの誠実さ、思いやり、人に対する敬意、そして仕事への誇り。

あの一瞬で私は、たくさんのことを学んだ気がします。

 

あなたが親子の席から去ろうとするのを呼び止め、私もオーダーしました。

「ホットココアを、お願いします」

あなたは穏やかな笑みをたたえながら、「はい、ホットココアですね」と言いました。

ホットチョコレートと言わなかったのはわざとです。あなたの口から「ココア」という音を聞きたくて。

予想に違わず、あなたの発音する「ココア」は、たっくんのそれよりもジェントルでありながらほんのりとキュートで、私はにやけるのを我慢するのに必死でした。

そうして、私の中であなたの名前が決まりました。

「ココアさん」

あれからずっと、心であなたをそう呼んでいます。

 

 

私はいつもここで、シドニーに住む友人にエアメイルを書いています。大切な人です。

口論など無縁だった私たちですが、一度だけ、電話でケンカめいたことがありました。去年、彼女が命にかかわる病気で入院したときです。医師から大きな病院に移るようにと指示されたのに、彼女は「ここを気に入っているから」と拒んだのです。私は「転院してほしい、治るように努力してほしい」と身勝手な要求をしてしまいました。大好きな友人を失うのがこわくて、彼女の気持ちを理解しようとしていなかったのかもしれません。

私は落ち込んで、あなたのココアが飲みたくなってお店に来たけれど、お気に入りの席は空いていなくて、他のテーブルについてぼんやり考え事をしていたら、あなたが突然こう言ったのです。

「好きな場所にいるだけで、元気になることもあると思います」。

 

ねえ、ココアさん。私があのとき、どれだけ驚いて、どれだけ嬉しかったか、そして、どれだけほっとしたか、きっとあなたは知らないでしょうね。

気が付けばいつもの席はあなたによって整えられて、まるで私のための場所であるように、きらきらと光って見えました。

 

ほんとうにそうだ、と私は思いました。好きな場所にいること、それが元気をくれる。

だとしたら、友人にとって居心地のいい場所で過ごすことが何よりの治療になるに違いないと、私はやっとわかったのです。私だって、なんの想い出もない高級レストランよりも、この店にいるほうがうんと幸せな気持ちになるもの。

 

私がこの席をいつも選ぶのは、隅っこで落ち着くこと、きれいに磨かれた窓から通りを歩く人が見えること、そして、あの雪の日、あなたに恋をした瞬間の場所だからです。

この場所はいつも、私をやさしく迎え入れてくれ、あの日のワンシーンが鮮烈によみがえり、私はここに座って、気持ちよさそうに働くあなたをこっそりと見ています。目が合わないように視線をはずしながら、あなたを視界に入れるワザもすぐに習得しました。だって目が合ってしまったら、仕事熱心なあなたは「ご用ですか」と飛んできそうだから。そんなことをされたら私は思わず、「好きです」と言ってしまいそうだから。

 

 

友人は病を乗り越え、あっというまに回復し、先日、東京にいる私のところに会いに来てくれました。

一緒に並んで、桜を見ました。今度は私がシドニーに行く約束も。

そうしたいと思いながらなかなか実現しなかったことも、ちょっと踏み出すだけでかなうのだと、私は友人から教えられました。

好きな場所で、好きな景色を、好きな人と見て、好きなことを話す。

私は今まで、そんな大切な願いに対して、どこか臆していたような気がします。

でも、思ったときに進まなければずっと止まったままで、それどころか、その願いは果たせないうち気持ちごと消えていってしまうかもしれない。

桜並木の下に流れる川を眺めながら、私はあなたのことを、何度も想いました。

 

散りゆくピンクの花びらも、若葉の緑も、真っ赤に色づく紅葉も、純白の雪も、これからはあなたと見たい。

私の話を、あなたにしたい。そしてあなたの話も聞きたいのです。

星のように遠い夢も、手のひらに乗るほどのちいさな出来事も、たくさんたくさん。

 

だから、ココアさん。

エプロンをはずして、私と会ってくださいませんか。

 

 

すっかり長くなってしまいました。初めてのラブレターをそろそろ書き終えて、封をして、あなたに渡すことにします。

そして笑顔と一緒に、ひとこと添えようと思います。

 

「お熱いので、お気を付け下さい」と。

 

  *     *     *     *     *     *

 

あとがき

 

ジャパリア創刊12周年を記念して、12色の物語を…。

最初は「一年間の連載、大丈夫かな」とちょっとだけ思いましたが、あっというまでした。

どのお話も、ひとつひとつに大切な思い入れがあります。

 

たったひとつ、「うーん!」と唸ったのは、「どの12色にするか?」ということでした。

あまり深く考えていなかったのですが、色鉛筆やクレヨンの12色セットって、モノによってそれぞれチョイスが微妙に違うのです。まず、自分が持っているぺんてるの12色クレヨンを見て「ピンクと紫がない!」ということに驚愕。私の中では絶対に外せない2色でした。

いろんな画材を確認してみると、ピンク、紫、灰色、肌色(今は「ペールオレンジ」などと表記されることも)、オレンジ、そして白。そのあたりの面々が、あったりなかったりのようです。

 

誰かにとって「ないなんて考えられない!」と思うことでも、他の誰かにとっては「別になくても不都合ないし」ってことだったりして、お互いの相違にびっくりしたりおもしろがったりしつつ、人と人は関わって生きていくのかもしれません。ちょっとずつ、手持ちのを色を混ぜながら。

 

3回目の、ジャパラリアでのWEB小説連載です。

いろいろな方からお寄せいただいた感想は、大きな励みになりました。どの言葉も宝物です。ありがとうございました。

また、いつもながらきめ細かなアドバイスをくださる編集長にも感謝いたします。

今回の連載は、お隣同士のストーリーに登場人物が重なるように作ってあります(登場人物によっては、お隣じゃないところにも現れます)。

世界はつながってるよ。そんなふうに感じていただけたら幸いです。

青山美智子

 

解説

 

 ジャパラリア創刊12周年のお祝いにと、青山美智子さんのほうから連載企画が持ち込まれたのが本作「12 Coloured Pastels~十二色のパステル~」である。タイトル通り、1話ごとに異なる色、全12色(12話)から成り、私自身、毎月、新たな「色(エピソード)」を青山さんから「見せて(読ませて)」もらうまで、次はどんな色でどんなストーリーが展開されるのか分からないまま、だが、全面的に青山さんを信頼して自由に書き進めてもらった次第だ。

 劇団ひとりの小説「陰日向に咲く」を彷彿させると例えると青山さんに失礼かもしれないが、本作は「陰日向に咲く」同様、1話ごとに主人公と設定が異なり、主人公の性別は女性が多いとはいえ男性もいて、しかもそれは日本人に限らずオーストラリア人だったり、そして舞台となる国も日豪をまたにかけながら、最終話の12話でピタリとつながる。最終話を読み終えた時に、12色入りの色鉛筆の缶の中の最後の一本が定位置に入って、そこで缶の蓋がパチリと閉じられるといったふうに。閉じた蓋には、開けた時には書かれていなかった「おしまい」という文字が書かれてある。だがほんの一瞬目を離した隙に、また缶の蓋は「12 Coloured Pastels~十二色のパステル~」というタイトルが書かれた「表紙」になっている。そうして、また開けてみたくなる。全話を読み終えた人なら、今度はすべてのエピソードがそれぞれの色から記憶に残っているはずなので、好きな色をそっと抜き取ってみることだろう。

 本作において私が個人的に一番好きな「色」は最終話の「White」である。青山作品において時として見られる「あざとさなしに読者を泣かせる」技は同エピソードには一切出てこないのに、最終話後半はかなり涙腺が緩んだものだ。だが、最終話だけを読んでも私が受けたのと同じ感動を得ることはできないだろう。1話から順に読んだ人だけが最終話で泣けるようになっている。

 最終話を読んで、私は宝石のダイヤモンドが頭に浮かんだ。ダイヤモンドのダの字も最終話には出てこないので、これは最終話の「White(白)」というタイトルから、なぜか私がダイヤモンドを勝手にイメージしてしまったからであろう。後になって考えてみたら、「白」から宝石をイメージする場合は、通常はパールだろう。確かにパールでもしっくりくるし、いやこれは誰がどう見てもパールでしょうと思う向きもあるだろう。だが私は両者を比較した結果、やっぱり最終話はパールではなくダイヤモンドだと結論付けた。これも青山作品を読む醍醐味のひとつであることが、皆さんにもお分かりいただければ幸いである。あなたのお気に入りは「何色」ですか?

ジャパラリア編集部