Colour No.9: Turquoise

 私は魔女になりたかった。小さいころから、そればかりを考えて暮らしていた。どうすれば魔女になれるのかわからなくて、誰も教えてくれなくて、でも絶対になれると信じていた。

 空を飛ぶことも、杖を振ることも、訓練すればできる気がしたけど、私は「秘薬」を作ることにとりわけ惹かれていた。最初に私を導いたのは、グレイス先生だ。小学校の課外授業で、ハイキングに行った。グレイス先生はどこかの大学で植物学を研究していて、このときは特別講師として一緒に参加していた。そして歩きながら、花の名前や食べられる実を私たちに教えてくれた。途中、石につまづき転んで膝を擦りむいた生徒がいた。グレイス先生はふいっといなくなり、なにやら葉っぱを摘んで戻ってくると、軽く揉んで傷口にあて「CHICHIN PUIPUI」と言った。その発音がおかしくて、生徒はみんな笑った。怪我をした子も泣くのをやめて笑いだした。

 魔法だ。グレイス先生は、魔女だったんだ。

 私は、おそらく他の子たちとは違う意味で笑いが止まらず、ハイキングが終わるまでずっと先生を見ていた。グレイス先生は、背筋がぴっとしていて、無造作に結った髪からのぞく耳たぶには、きれいな石のピアスがはめられていた。ハイキングが解散になったあと、私はそっと先生に言った。

「先生、質問があります」

「はい、なんでしょう、シンディ」

 私は、最初の自己紹介で一度しか言わなかった名前を先生が覚えてくれていたことに驚きを覚えたけれど、すぐに気を取り直して続けた。

「あの葉っぱは、なんですか」

 先生は「ああ」と笑みをこぼすと、いたずらっぽくこう言った。

「魔法の葉っぱです。怪我をしている人を健康な状態に戻すのです」

 やっぱり!

 私は嬉しくなって、矢継早に問いかけた。

「じゃあ、あのおもしろい言葉は?」

「あれはね、日本人のお友達が教えてくれたの。ちちんぷいぷい。素敵な世界に変わる呪文。可愛いでしょう」

「とても!」

 私は深呼吸をひとつすると、思い切って尋ねた。

「先生は、魔女なんですか」

 先生は一瞬私の顔を見て、すぐに「シーッ」と人差指を唇にあて、微笑んだ。「内緒よ」

 私は飛びあがって喜んだけれど、その後、グレイス先生には会えなかった。その後の課外授業でもキャンプでも、グレイス先生とは違う人が来た。私はもっともっとグレイス先生にいろんな魔術を教えてもらいたかったのにとずいぶん悔しい思いをした。

 それから私は手当り次第に植物図鑑を見て、殺菌や止血をする植物がいくつもあることを知った。それだけじゃない。植物には人を助けるいろいろな効能が……魔法があった。私は胸をときめかせ、夢中になりながらそのたぐいの本をむさぼるように読み、植物園へ出かけ、高校を卒業するころ本格的にアロマセラピーの門を開いた。

 そしてもうひとつ、先生の耳を飾っていたあの石が、ターコイズであることをわりと早い段階で知った。ターコイズは不思議な石だった。古くから魔術や儀式で使われ、お守りとして人類に愛されてきた石。精霊や宇宙とつながると信じられたきた石。私も、ターコイズを好んで身に着けるようになった。魔女になるために。ターコイズブルーは、私の色だ。なぜだか、そう思えて仕方なかった。

 しかし、私がターコイズのアクセサリーをつけていても、ずばり「ターコイズブルー」という名を出す人は意外に少なかった。多くの人は「ライトブルー」や「ペールブルー」、あるいは「スカイブルー」と言うのだ。印刷の仕事をしている人からは「シアン」という呼び名も教えられた。いろいろな名前を持っているこの色が、私にはまたいっそう魅力的だった。

 3年前、私は、インターネットの記事でグレイス先生がイギリスのアロマスクールで講師をしていることを知った。お年を重ねた写真と名前しか手がかりはなかったけど、間違いないと私にはわかった。それで、すぐに仕事を辞め、アパートを引き払って、イギリスに渡った。アパートの隣人に恋していたのだけれど、想いは告げなかった。いつ帰ってくるかわからないのだから。

 そのかわり、魔法をかけた。

 イギリスに行く直前、私はかねてから研究していた媚薬を完成させたのだ。イランイランの精油、ロータスのエッセンス、勿忘草(わすれなぐさ)の花びら、私の吐息、満月の光のしずく……あとは秘密。それをローズの特製のフローラルウォーターに混ぜ込み、自分の頭から足先までたっぷりとスプレーした。そして、出勤前の彼をアパートの下で待ち伏せし、偶然を装ってバス停まで一緒に歩くことに成功した。

 何色が好き?なんてたわいもない話をしながら、私は髪を揺らせたり、顔をかたむけたりして、一生懸命彼に媚薬の粒子が届くようにと努めた。「オレンジ色が好き」だなんて、彼にあまりにも似合うラブリーなことを言うものだからキュンときていたら、突然、目の前で彼がオレンジ色のエプロンをかけて楽しそうにサンドイッチを作っている光景が映画予告のように現れた。ほんの2、3秒でそれは消えたけど、「ああ、この人、今は銀行員だけどそのうちサンドイッチ屋さんをやるのね」とわかった。こんな経験は初めてだったのに私は驚かなかった。本気で恋したら誰でもこれくらいの魔力は発揮できるのだと、どこかで知っていた。

 シドニーに戻ってきたら、オレンジ色のサンドイッチ屋さんを探そう。私は別れ際、彼を「オレンジさん」と呼んでさっき見た未来を封じ込め、バスに乗るとき小さく「ちちんぷいぷい」と呪文を続けた。

 イギリスでグレイス先生と再会し、私は3年間、アロマの勉強を……つまり、グレイス式魔術を習得した。ターコイズの話もした。グレイス先生は「日本語ではこの色をmizuiroと言うのよ」と教えてくれた。みずいろ。水の色。

「この色は、見る人によって水だったり空だったりするのね。シンディ、あなたにとっては何の色?」

 私は答えた。

「ちちんぷいぷいの色です。先生」

 グレイス先生は「まあ」と言って笑った。

 素敵な世界に変わる魔法。私はもう、いろんなことにかけられる。病んでいる人の笑顔を取り戻し、憎しみの心から武器を奪い抱擁を与え、眠れぬ夜に優しい夢を授ける。

 イギリスでの修行を終えて、私はこれからシドニーで新しい生活をスタートさせる。ターコイズを携え、アロマを駆使し、ちちんぷいぷいと呪文を唱えながら世界を明るく変えていく。おひさまみたいなオレンジ色のエプロンをかけた、チャーミングな恋人の隣で。