Colour No.6: Grey

 ねえ、聞いてくださる? 私たち結婚して50年なんです。ホテルのオープンカフェで朝食なんて、なんだかちょっと落ち着かないけど、たまには洒落てていいものね。私と向かい合って、ベーコンエッグをもぐもぐおいしそうに食べている、これが進一郎さん。私の夫です。

 昨日、タロンガズーで新婚のお嬢さんに「50年もそんなに仲良くいられるなんて、運命の赤い糸で結ばれてたんですね」なんて言われてね、はあ、そう、50年ね。あらためて感慨深いわ。驚いちゃう。考えたら、私たち、新婚旅行も熱海に一泊だったし、すぐ子供ができたから、ふたりで海外旅行なんて初めてなのよね。2人の娘たちが……それぞれの旦那さんも巻き込んで、金婚式だからってシドニー旅行をプレゼントしてくれたんですよ。ええ、こんな幸せなことったらありません。

 今までいったい、何回こうやって一緒にごはんを食べましたかね。そしてあと何回、一緒にごはんを食べるのでしょうね。

 私たち、一応、恋愛結婚でした。私は進一郎さんが勤める土木事務所の経理をやっていて、そうね、社員は12人くらいだったかしら。紅一点でしたから、それなりにモテましたのよ。経理といっても、なんでもやりましたの。お茶くみは当然のことながら、お掃除も、おつかいも、時にはどっさりおにぎりを作ったりね。なんていうのかしら、運動部のマネージャーみたいな感じといったらわかる? 今思えば、あのころが私の「青春」だったのかもしれないわねぇ。

 進一郎さんはとてもとてもまじめで、体が小さい上に自己主張しないから目立たなくて、誰かが進一郎さんのがんばって出した成果をまるで自分の手柄のように披露しても、隅っこで静かに微笑んでいるような人でした。私はそんな進一郎さんが歯がゆかった。「どうしてもっと自分のことをアピールしないの」と、半分怒りながら言ってしまったこともある。そしたら進一郎さんは「僕ひとりじゃできなかったことだし、会社の利益になるんだったら誰がやったって同じでしょう」ってのんびり言うのよ。この男、出世しないわって若い私は思ったのね。当時、たくましい人が好きだった。事務所で一番体と声が大きくて、リーダーシップをとっている陽介さんとおつきあいしていたの。このまま結婚するんだろうなと思っていましたよ。

 でもね、陽介さんは社長のお気に入りで、娘さんとの結婚話を勧められてね。安いドラマみたいな話ですけど、私はあっけなく捨てられてしまいましたの。

 私は泣いて泣いて泣いて、自分が悪いわけじゃないのにお勤めしづらくなって、辞表を出そうとしていたときに、進一郎さんがこう言ったの。僕と結婚しましょう、ですって。「おつきあいしてください」じゃないのよ、「結婚しましょう」よ。それで私、同情されてるんだと思って、意地悪を言いたくなったの。「あなたみたいな地味な人と一緒になってもおもしろくありません。私は、恰好の良い男の人が好きなんです」。私はそのとき、心がくすんでいたから、やさしい進一郎さんを傷つけたくなったのね。でも進一郎さんは傷つくふうもなく、いつもの遠慮がちな態度はどこへやら、にっこり笑って堂々とこう答えたの。

「僕は恰好良くなりますよ。約束します。今は地味に思えるかもしれないけど、年をとったときに必ず、ロマンスグレーのいい男になりますから」

 私はぽかんとして、しばらくの間、進一郎さんの笑顔を眺めていました。そして、想像したの。年をとって、おじいさんになった進一郎さんのことを。自分でも驚くくらい、たやすく想像することができた。ああ、この人はきっと、本当にロマンスグレーの素敵なおじいさんになる。私はこの人といたら絶対に不幸にならない。それは想像を軽く超えて、確信になりました。

 そうして私は退職して進一郎さんのお嫁さんになったんだけれど、10年経って、その土木事務所の社長が病に倒れたとき、跡を継いでくれと頼まれたのは陽介さんではなく進一郎さんでした。陽介さんは、社長のお嬢さんとうまくいかなかったのね。結婚して3年もしないうちに博打と女に走り、離婚していたの。もちろん会社も辞めて、行方知れずになっていた。お嬢さんはそのあと再婚したそうだけど、社長とは関係のない、自由な恋愛だったと聞いたわ。

 社長が亡くなったあと、進一郎さんは陽介さんを必死で探しました。日雇いで食いつないでいた陽介さんをやっとのこと見つけ、一緒に会社を盛り立ててくれないかと頭を下げたんです。陽介さんにお願いしなくたって、そのころの事務所はじゅうぶんに順調にいっていたんだけれど、進一郎さんはずっと陽介さんのことが心配だったのね。だけど「雇ってやる」なんて申し出たら、陽介さんのプライドは粉々だったでしょう。陽介さんは陽介さんで、きっといろんなことをわかっていたはずです。でも陽介さんも、「こちらこそ頼む」と頭を下げたの。私は、進一郎さんも陽介さんも、ほんとうに素晴らしいと思ったわ。

 陽介さんが加わってから会社はさらに活気づいてきて、大きく成長してね。でも進一郎さんは、ずっと変わらないのよ。実直で謙虚で、いつも微笑んでいて。どんなえらい人にもペコペコしないし、どんな新人にもいばったりしないの。

 私は思うんだけれど、正しい謙虚さというのは正しい自信だし、本当のやさしさは本当のたくましさじゃないかしら。

 2年くらい前かしらね、あるとき、ふと気が付いた。あら、進一郎さん、いつのまにかこんなに頭が白く……いいえ、美しいグレーになっているじゃありませんか。

「コーヒーのおかわりをください」

 朝食を食べ終えた進一郎さんがウェイトレスさんに声をかけました。スタッフに日本人がいることで安心したみたい。黒々とつややかな髪の毛を後ろで束ねたウェイトレスさんの、「はい」と気持ちのよい返事。進一郎さんと出会ったころ、私はあれくらいの年齢だったかもしれないわ。進一郎さんに「お茶をどうぞ」と湯呑茶碗を差し出した自分が重なります。

「進一郎さん。あなた、ウソつかなかったわね」

 私が言うと、進一郎さんは2回まばたきをして、ふふっと楽しそうに笑いました。

「なんのことだろうなぁ」

 あら、私ばかり食事しながらこんなにお話してしまって、ごめんなさい。あなたもおなかがすいているわね。パンをお召しあがりになる? 少しちぎって差しあげましょうか。

「その鳥、ロリキートっていうんですよ。鮮やかでしょう」

 コーヒーポットを持って現れたウェイトレスさんが教えてくれました。顔が青で、胸がオレンジで、羽根が緑。首にはマフラーみたいな黄色のライン。ほんとうにねぇ、あなた、なんてカラフルなの。

 すると突然、進一郎さんったら、

「美佐子さん、きれいだねぇ」

 あら、まあ、やだ。急に言われて、年甲斐もなく心臓がポロンとハープのような音色を奏でましたよ。進一郎さん、そんなこと何十年も言ってくれないのに、いいえ、新婚時代だって、言われたことなんかあったかしら。照れくさくなって下唇を噛みながら顔を上げたら、進一郎さんの目線はロリキートに向けられていて。

 きれいだって言ったのは、私のこと? それともロリキートのこと? 

 まあ、いいわ。

 色とりどりのロリキートと、いつものように穏やかに微笑む進一郎さんを、交互に見ながら私は心で思いましたの。口には出さないけれどもね。

 進一郎さんのロマンスグレーのほうが、私、断然素敵だと思うわ、って。