7 : Airport(最終話)

 緊張してるの、スウ? 運転席で目線だけこちらに向けたレイの言葉に、私はどきりとしてしまった。

 私は、レイの運転する車で空港に向かっている。恋人のアダムが、日本からシドニーに帰って来るのを出迎えるためだ。レイは私の親友で、彼の……いや、彼女の勤めるヘアサロンを私が取材してからのつきあいだ。レイの本名は「礼二」というが、シドニーでは「レイ」で通している。男でも女でもとおりのいいその名前は、男でも女でもない、ゲイであるレイにぴったりだ。サロンの客にはカミングアウトはしていないらしく、時折、女の子からラブレターをもらったり、モーションをかけられるのだという。レイの美貌からいったら、それもいたしかたない。

 そんな美しく気のいい親友は、今日、私を空港まで車で送ってくれると言った。もちろん、帰りはアダムも乗せて家まで行ってくれるという。だからって、あたしの車でいちゃいちゃするのはやめてよね、とレイは軽く釘をさした。

「緊張? アダム相手に、今さら緊張なんてするわけないでしょう」

 私は髪の毛をかきあげながら言った。レイはくすりと笑う。

「あんたのその癖、自覚ないのね。嘘つくとき、髪に手をやるの」

 私はばつが悪くなり、窓の外に目をやった。きらきらと、夏の光が降り注いでいる。

 緊張していないなんて、そのとおり、嘘だった。私は、身も心も知り尽くしたはずのアダムに会うことに、一週間も前からどきどきしっぱなしなのだ。半年の遠距離恋愛。たかが半年、と人は言うかもしれない。でも最初のころの私には、気の遠くなるような歳月に思えた。

 それが、とうとう、今日終わる。

 先週のうちにレイに髪を切ってもらったし、昨日の夜は顔にパックもマッサージもした。メイクはいつもよりていねいに、でも派手にならないように仕上げてある。アダムが好きだと言った、アイボリーのキャミソールだって着てきた。完璧。あとは、にっこり笑って彼を迎えるだけ。

 アダムもそうだろうか。彼も、私みたいにどきどきして、再会のそのときを待ちわびているだろうか。

 それを考えると、ちょっと苦しい気持ちになる。私をほっぽって東京に行ってしまったアダムだもの、私のほうが彼を多く愛しているんじゃないかしらと思うことがある。離れていた半年間、私が彼を思って心を焦がしていたのと同じくらい、彼が私を想ってくれていたかどうか不安なところだ。

「アダム、私のこと、そんなに好きじゃなくなってるんじゃないかしら」

 ぽつんと弱音を吐いたら、レイがからからと笑った。

「何言ってるのよ、クリスマスにあんな素敵な似顔絵プレゼントされておいて」

「でも、会ってもそっけなかったら、どうしよう」

「ばかね、自信を持ちなさい。今日のスウはいつもに増してきれいよ」

 私はサイドミラーに映る自分を確認する。そうだ、とびきりのスマイルでアダムに会わなければ。私は、にっと、唇の端をあげて練習をしてみた。はしゃぎすぎてはいけない。アダルトな女性の、余裕のある微笑みで。私はそんな理想の自分を思い描き、よし、だいじょうぶ、と念じた。

 車が空港の敷地内にすべりこむ。

 駐車場に車を停めると、レイは「あたしはここで待ってるから」と言った。

「一緒に来てくれないの?」

「ひとりで行きなさい、アダムはひとりで帰ってくんのよ」

 私はレイに背中を押され、車を降りた。いよいよだ。

 到着ロビーは出迎え人でごったがえしていた。みな、うきうきとして見える。「ただいま」を言う側よりも、「おかえり」を言う側のほうが、何倍もうれしいに決まっている。

 時間がせまる。私は呼吸をととのえて、アダムを想う。変わっていないかしら。髪形は? 体型は? 声は? そして私への気持ちは?

 ねえ、この半年、私がどんなふうに過ごしてきたか、わかる? 傍らにいるはずのあなたの不在。時には泣いて、時にはごまかして、時には笑い飛ばして、ただこの日を待っていたのよ。

 胸がはやる。手がふるえる。大勢の群れの中に、なつかしい顔を見つける。同時に目が合った。

「スウ!」

 人目もはばからず、アダムが私の名前を呼んだ。返事をする間もなく、彼は私のところに両手をひろげて駈けてくる。

 アダム、アダム。

 会いたかった。

 あたたかな腕でしっかりと抱きすくめられながら、私はぼろぼろと泣いた。メイクも台無し。でも、そんなことも、もうかまわなかった。

 私の髪をなでていたアダムが、そっと体を離す。

「受け取ってくれるかい、スウ」

 アダムがはにかんで差し出した、小さな箱。まさか、と開いみると、私の誕生石のルビーのリングが顔をのぞかせた。

「結婚しよう。世界で一番、幸せになろう」

 息が止まった。そして次の瞬間、私は、うわあん、と子供のように大声を上げて泣いた。

「アダルトな女性の、余裕の微笑み」なんて、どこかに吹っ飛んでしまった。でもきっと、アダムはそんなことを求めてはいない。このままでいい。ありのままで。

 私の薬指に、エンゲージリングが光る。そして今、この空港から、私たちは新しくスタートを切る。私は、世界のすべてに感謝したいような気持ちで、ぎゅっと目を閉じた。

<完>

 

あとがき

 書籍化もしていないのにあとがきなどとおこがましいのですが、編集さんのご好意により、書かせていただくことにしました。

 私は大学を卒業してから2年間、オーストラリアで暮らしていました。そこで出会った人々や出来事を、いつか文章にしてみたいなとも思っていました。今回の連載は、それが形となったひとつです。「夢が実現した」と言っても大げさではないと思います。

 連載をスタートさせるにあたり、「群像劇にしたい」という希望が最初にありました。誰かひとりを追っていくのではなくて、いろいろな人々の、いろいろな物語を書いてみたいと。結果として、この小説では「主人公」が特定されません。逆をいえば、登場人物すべてが主人公となりました。

 チョコレートか、ベジマイトか? それは、見た目が同じようでも、あまいか、しょっぱいか?ということでもあり、人生、ちょっと見には見分けがつかないことも多いのではないかと思います。おいしい話に裏があったり、過酷だと思っていたことが案外ハッピーだったり。私たちは、それらを繰り返しながら、泣いたり笑ったり、大忙しに毎日を過ごしています。でも考えてみたら、チョコレートもベジマイトも、滋養豊富。どちらもエネルギーになっているんですよね。

 小説の書き方は人それぞれだと思うのですが、私の場合、特にプロットを立てません。場合によってはあらかじめ「ここが書きたい!」という場面や言葉があるのですが、通常は、なんとなく登場人物の顔があって、漠然とした設定があって、あとは書いているうちに出来上がってきます。なので、自分で書いておきながら、登場人物のセリフに「へえ〜、そうなのか」などと思ったりもします。この連載の中でも、私はずいぶん、自分で気がつかなかった潜在意識のようなものを知ることができました。

 こんなつたない小説でしたが、半年の間、読んでくださってどうもありがとうございました。いろいろな方から、感想や励ましのお言葉を頂戴し、感涙にむせびました。

 そして編集担当さんには、いつも的確なアドバイスをいただき、また、自由に書かせていただきました。そのうえ、すばらしい「解説」も書いていただき、身にあまる幸せです。重ねて、お礼を申し上げます。

 連載は終わりましたが、また何かの形で、文章を残せたらと願っています。それまで、日々、チョコレートもベジマイトも味わいながら、ものを書く姿勢をとりたいと思います。

 最後の一文字まで読んでくださったあなたに、心からありがとうを。またどこかで、お会いしましょう。

青山美智子

 

解説

 青山美智子さんは、「月刊ジャパラリア」“紙媒体版”の創刊号(2003年7月号)よりエッセイ「いろはにポケット」を連載してくれていて、ジャパラリアが折に触れて行う誌上読者アンケートで毎回ダントツ1位の人気を誇っている。青山さんと私はそれ以前からの古い付き合いになるが、紙媒体版の創刊に当たって、「“林真理子ペイジ”をぜひお願いします!」と依頼して始めてもらったのが「いろはにポケット」だった。“林真理子ペイジ”とは、女性ファッション誌などで作家の林真理子さんがよく受け持っていたエッセイ・ペイジ、その雑誌の一番最後の“トリ”となる最終ペイジのことであり、通常、その雑誌で最も人気の高いペイジでもある。付き合いの長さだけを理由に、申し訳ないほど微々たる額の原稿料でジャパラリア創刊から7年以上続けてもらっているが、私の編集者としての読みは間違いではなかったと、年を重ねるごとに実感する次第である。

 そんな青山美智子さんが、おそらくかつてシドニーに住んでいた自らの実体験も大いに参考にしながら執筆してくれたであろう、ジャパラリア・ウェブ版独占の連載小説が「チョコレート・オア・ベジマイト」である。こちらも、驚くに値しないことかもしれないが、アクセス解析上、1話更新のたびごとにその他のコンテンツを大幅に引き離した圧倒的なアクセス数により1位という歴然たる記録を実績証拠として残した。青山さんに固定ファンがついていたのは事実だが、これまでジャパラリア誌上でのエッセイしか知らなかった読者が、小説というジャンルにおける“青山ワールド”に大いに興味と関心を示して、毎回のエピソードの更新と同時にアクセスしたであろうことは間違いないだろう。

 私と青山さんの間では通称「チョコベジ」で通っていたこの短期集中連載、1話ごとに読み切りで楽しめ、1話ごとに非常に魅力的かつ、ヴィジュアルが鮮明に脳裏に浮かびそうな登場人物たちがそれぞれのストーリーを紡いでいく。それは、男性キャラクターの描写においてより顕著なため、どうしても女性登場人物を忘れてしまいがちだが、Story 1のスウ(すみれ)に始まり、ミユキ、チカコ、“私”…といった具合に、本来こちらが主人公である女性キャラがごく自然に、だが同時に全員とても魅力的に描かれているのだ。おそらく青山さんは女性読者が多いであろうことを見越して、男性キャラの詳細にわたる特徴描写とは対照的に、本作品中の女性キャラクターを全員、読者が自分自身に置き換えやすいようにサラリと書いたと思われるが、もう一度読み返していただければ、これら各女性キャラこそが「チョコベジ」を引っ張っているのだということに気づいてもらえるだろう。それはつまり、各エピソードを読んだ読者一人ひとりがこの連載を強い力で引っ張ったのである。青山さんはそこまで計算してこの物語を書いたとしか思えない。ここに、作者と読者との“一体感”を体現したかのような小説が生まれたことになる。

 唯一、文句をつけるとすれば、青山さんがあまりにも短期でこの連載を終わらせてしまったこと。もちろん、最初の取り決めで青山さんははっきりと「2010年いっぱいの半年間短期集中で」とは言っていたものの、私としてはできるだけ長く引っ張ってもらいたかったところである。編集者としての勝手な算段だけでなく、絶対に大多数の読者もそう思っていたはずなのである! なので、読者からの熱い声が編集部に寄せられて、それを青山さんに伝えれば、もしかしてまた連載再開ということも大いにあり得るかもしれない。青山美智子さんに「最終回」という言葉は似合わない。青山作品ファンの読者も、間違いなく私に同意してくれるはずである。

(2011年1月/ジャパラリア編集部)