5 : One Way

 いくつめかの旅を経て、私はパースを最終地にすることに決めた。

 ワーキングホリデーのビザで渡豪して、もうすぐ11ヶ月になる。私はずっと、旅をしていた。歩いたり、バスに乗ったり、電車に乗ったり、飛行機に乗ったり。ひとりだったり、ふたりだったり、6人だったりした。

 私はバックパックひとつで、この約1年を過ごそうとしている。オーストラリアへ来る目的は人それぞれだろうけど、私の場合、旅だった。

 ブリスベンから入国し、ゴールドコースト、ケアンズ、エアーズロック、アデレード、メルボルンとまわった。そしてシドニーで少し腰を落ち着け、パースでラストを飾り帰国する。それで私のオーストラリア放浪も完結する。

 私はシドニーのオフィス街にある日本人経営の旅行代理店を訪れた。いつもは自分で乗り物のチケットを取ったり宿を予約したりするのだが、最後だもの、少し「おのぼりさん」的なパックツアーにのっかるのもいいと思ったのだ。

「担当させていただきます、櫻田と申します」

 カウンターに現れたのは、背筋のしゅっとした、見るからに清廉潔白そうな青年だった。大きな瞳はうるんでいるし、ぽったりとした唇からのぞく歯がリスのようにチャーミングだった。

「パースに行こうと思うんです」

 私は言った。櫻田さんは「いいですね」と言って、飛行機で行くのと、インディアン・パシフィック号という列車で行く方法を教えてくれた。飛行機なら4時間のところを、この寝台列車は3泊4日かけて行くという。

 値が張ったので躊躇したが、私はこの豪華な列車の旅を選択した。

「うらやましいな、僕もまだ未経験なんです。オーストラリアの半分は自分の足で歩いたつもりなんだけど」

 彼もワーキングホリデーで来ており、1ヶ月前にここで働きはじめる前は、友人とふたりで旅をしていたそうだ。その経路が私とほとんど同じだったので、私は櫻田さんに親近感を覚えた。私たちは、少しの間、お互いのしてきた旅の思い出について話した。

「旅はいいですよね。一緒に連れ添ってた友人は今、ホームステイしながら英語学校に通ってますけど、僕は旅に関する仕事がしたくなってここで働くことにしました」

 私がパースから日本に帰国したい旨を告げると、櫻田さんは「じゃあ、片道切符でいいんですね」と言った。

 そうだ。そして私は、オーストラリアを後にする。旅人としての生活は終ってしまうのだ。そう考えたら、ふとさびしくなった。日本に帰り、どこかに就職して、さして変化のない毎日に埋没されていくのだろうか。

「そう……です。片道で。それでもう、私の旅はおしまい」

 思いがけず訪れたセンチメンタルな気持ちを見透かしたのか、櫻田さんは前髪を少しかきわけながら、「僕も、旅している間はずっと片道切符でした。帰り道のない」
と言った。聡明そうな額がのぞき、私はちょっと彼を男性として意識した。

「人生は、片道切符の旅である。往きはあるが帰りはない」

「え?」

「小説家の吉川栄治の言葉です」

 櫻田さんは、はにかんだように笑った。

「旅をしていると、いろんなことに出会ったり、いろんなことを考えたりしますよね。それって、旅をしていなくても、同じじゃないでしょうか。生きていることすべてが、戻ることのない旅路なんだと、僕は思います」

「……雑多な日常の中で過ごしていたら、大切なことを置き去りにしてしまわないかしら」

「大切なことって、たとえばどんなことでしょう?」

「うまくいえないけど、ときめきとか、驚きとか」

 私がつたない言葉で必死に伝えようとするその思いを、櫻田さんは、やさしく受け止めるように答えた。

「大丈夫。この1年で、それを見つけたり感じたりする力は培われたはずですから。僕も今、仕事したり仲間と飲みに行ったりっていう『日常』を過ごしてますけど、ときめくことは十分ありますよ。……現に今、あなたとこうして話している間にも」

 櫻田さんは最後の言葉を少し小声で言い、ばしっと、ウィンクをした。

 優等生っぽい彼の意外なジョークに、私は本気でどきどきしてしまった。

 そう、きっとこんなふうに、日常の中にも新鮮な発見はある。そう思えたら、日本に帰るのも少し楽しみになった。

「よい旅を」

 櫻田さんが言った。

「ええ、ありがとう」

 彼がとってくれた片道切符で、最高の思い出を作ろう。私は微笑んで、申込書にペンを走らせた。